- 出演者
- バカリズム 林修 斎藤ちはる 伊沢拓司 島崎和歌子 室井滋 高橋茂雄(サバンナ) ビビる大木 高山一実 武藤十夢
今年度の熊野人身被害は200人以上とされ過去最多を更新。その被害は地方だけではなく都内でもあり檜原村では2頭のツキノワグマが養鶏場を襲撃しようとする様子がカメラに収められた。相次ぐ被害を受け熊を「指定管理鳥獣」にする方針で実行されれば捕獲などを国から支援される。また大井特任教授によると今年は暖冬で熊が早くに目覚める可能性があることを指摘した。
ルーマニアでは観光客などの餌付けによってクマの人馴れが進み問題となっている他世界各国の人とクマが急接近した映像が公開された。本来熊に背を向けて逃げるのは良くないがイタリアの少年の場合は熊の方を向いている大人もいたから大丈夫だったなど話した。
狩りをする男性にクマが突っ込んでくる映像など熊野身体能力を撮影した映像が公開された。スタジオには実寸大パネルが登場。ヒグマは体長220殻0cm,ツキノワグマは110~150cmとなっている。クマが獲物を捕らえた貴重な映像が公開された。
1月に撮影されたのは民家の柿の木の上にいるツキノワグマの様子が撮影された。1月は本来冬眠中であるが大井特任教授によると冬眠が遅れた、途中で目が覚めたと説明。このような眠らないクマが急増している。
眠らないクマについて大渕先生によるとそうしたクマについ「穴持たず」と呼ばれ、秋の間に十分な栄養を蓄えられないことが要因の一つ言われ、今年は特に増えている可能性があるという。またクマは冬眠中も体温があまり下がらないため気温が高いと早く目覚めてしまう可能性もある。
市街地に出没するアーバンベアが増えている。アーバンベアの行動として駐車場にクマが侵入したり、車のドアを開けるなどの様子が撮影された。
アーバンベアの行動として冬眠場所を探して床下に潜んだ巨大クマの映像が公開された。アーバンベアが増えて理由として大井特任教授は猟師が減少し人を恐れなくなった、里山の利用が減り人里近くに現れるようになったと説明した。
クマが猫など他の動物と遭遇した時の映像が公開された。国立環境研究所によるとネコは希少性の生態系に影響をもたらす侵略的外来種ワースト100に選ばれるほどの生き物である。
春は活発になるイノシシがポーランドで20頭以上のイノシシの群れが町を闊歩する様子の映像や人を襲う様子が公開された。イノシシについて大渕先生は子連れは神経質なので注意が必要で、あちら側も恐怖やパニックで攻撃してくると話した。
普段はおとなしいシカ。ポーランドで撮影されたのは銃を構えたハンターに襲いかかるシカの姿。ハンターは顔の骨を折る大怪我を負ったが命に別状はなかったそう。日本各地では列車とシカの衝突事故が相次いでいる。
日本各地では列車とシカの衝突事故が相次いでいる。シカが線路に入り込む理由はミネラル摂取のためにレールを舐めに来てしまうから。過去30年間で野生のシカは約8倍に増加。全国の農作物被害額はシカがワースト1位となっている。大渕先生によると、ハンターの減少や捕獲規制、温暖化など様々な要因が影響してシカが増加しているという。
ハチは暖かくなると活動が活発になる。コロンビアではキッチンの戸棚の中をミツバチの大群が埋め尽くす映像が捉えられた。散歩にでかけた短時間でこの状態に。これはミツバチの引っ越し。春に新女王が誕生するため、前女王は半数ほどの働きバチを連れて出ていくという。その中の斥候部隊が引越し先を見つけて、後から大群を引き連れて来てしまったものとみられるとのこと。
スリランカの人気観光地・ナインアーチブリッジで撮影された映像には、興奮したオオミツバチたちに10か所以上刺される男性の姿が捉えられていた。刺された場所は数日間腫れが引かなかったそう。
藤子・F・不二雄の偉業に迫る。ドラえもんは70の国と地域で放送されている。藤子・F・不二雄ミュージアムでは生誕90周年を記念して原画などが展示中。藤子・F・不二雄ファンのサバンナ高橋が講師を務める。
1933年富山・高岡市で生まれ、10歳のときに藤子不二雄Aと出会う。18歳で漫画家デビュー。元々ペンネームは「手塚先生の足元にも及ばない」という意味で足塚不二雄だった。
藤本弘は30歳の時、5作品を4雑誌で連載していた。多忙を極める中、1963年にトキワ荘のメンバーでアニメ会社「スタジオゼロ」を立ち上げる。初代社長の鈴木伸一さんはラーメン大好き小池さんのモデル。鈴木さんが証言する藤本のいたずらエピソードを紹介。あるとき藤本はUFOの写真を撮ったと見せてきたが実際はUFOの切り抜き写真をガラスに載せて撮影したものだった。鉄腕アトムの下請け依頼を受け、藤本らは寝る間を惜しんで作業に没頭した。その第34話は今もファンの間で伝説として語り継がれている。鈴木さんは「鉄腕アトムは失敗でしょうね、キャラクターがバラバラになっちゃった」「やっぱり漫画家はクセがあって漫画家なんですよ」と話した。藤本もアニメの難しさを痛感し、徹子の部屋では「アニメは別の才能だとわかった」と語っている。スタジオゼロの社長はあみだくじで決定していた。二代目はつのだじろう、三代目は藤子・F・不二雄、四代目は石ノ森章太郎だった。経費は漫画家から回収していた。林はチャレンジがあったからこそ、その後の発展に繋がったとコメントした。
「徹子の部屋」では2人が高校生の時に描いた回覧誌が紹介された。まさに漫画家としての原点ともいえる作品。藤子・F・不二雄は「お金にならないマンガを描いている時が一番楽しかった」と語っている。