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「長崎歴史文化博物館」 のテレビ露出情報

依頼人は千葉県船橋市の市川一葉さん(95)。お宝は父の形見分けでもらった掛軸。60年ほど前、夫の転勤で愛媛県に引っ越した。社宅が床の間付きのお座敷がある家で、床の間に飾るために「なんでもいいから掛軸を送って!」と頼んだら母から「形見分けとしてあげるから大事にしてね!」と言われたという。軸先が壊れていたため、表具店で直してもらったそう。その際「江戸時代末期の有名な絵師の絵!」と言われたそう。以来、正月にだけ飾り、楽しんできたが、本当に良いものかどうか気になっているとのこと。依頼品は宋紫石の掛軸。宋紫石は中国清の画家・沈南蘋の影響を受けた南蘋派を代表する絵師。1715年、江戸の生まれ。本名を楠本幸八郎というが、若い頃の経歴はよく分かっていない。1731年、八代将軍・徳川吉宗に招かれ、沈南蘋が長崎に渡来。中国伝統の色鮮やかな花鳥画に西洋の写実を取り入れた斬新な画報で日本の絵師たちに衝撃を与えた。南蘋は2年足らずで帰国するが、その画報は彼の通訳を務めた熊代熊斐に伝授された。江戸にいた幸八郎は40歳の頃に長崎に遊学し熊斐に師事。さらに当時来日していた宋紫石にも学び、その名に倣い宋紫石と名乗るようになった。熊斐は紫石の他にも数多の弟子を育てたが、この一派を南蘋派と言う。紫石は江戸に戻り、南蘋派の花鳥画を描くとたちまち評判となった。南蘋が背景まで描き込んだのに対し、紫石は背景をほとんど描かず、すっきりとした構図にまとめ、それでいて花や鳥は細密に。当時、江戸画壇の主流であった狩野派が独創性を失っていた頃、博物学が流行し始めていたことなどから紫石の新しい花鳥画は多くの人々の関心を引いた。紫石が多用したのが木の枝が斜めに横切る構図。これは余白を大きく取るための工夫と考えられている。細密描写の力が認められ、1763年「物類品隲」の挿絵を担当。また、南蘋派の普及こそが我が使命と考えていた紫石は蠣崎波響や司馬江漢ら多くの門人を輩出した。さらに画譜を多数出版し、それらが各地に広まったことで円山応挙や伊藤若冲らにも多大な影響を与えた。
住所: 長崎県長崎市立山1-1-1
URL: http://www.nmhc.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年8月23日放送 12:54 - 14:00 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
依頼人は千葉県船橋市の市川一葉さん(95)。お宝は父の形見分けでもらった掛軸。60年ほど前、夫の転勤で愛媛県に引っ越した。社宅が床の間付きのお座敷がある家で、床の間に飾るために「なんでもいいから掛軸を送って!」と頼んだら母から「形見分けとしてあげるから大事にしてね!」と言われたという。軸先が壊れていたため、表具店で直してもらったそう。その際「江戸時代末期の有[…続きを読む]

2026年8月4日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
プラチナファミリー&火曜の良純孝太郎小泉孝太郎&高嶋ちさ子 華麗なる一家をのぞき見
木蝋づくりを生業としていた吉田屋。開国を機に海外から油の輸入が行われ木蝋の需要が減少し、吉田屋が挑戦した新たな家業はタバコの製造。しかし明治37年、タバコが政府の専売となったためタバコ製造業は廃業。明治38年、地元に有家銀行を共同設立。昭和初期に合併され現在は十八親和銀行に。吉田屋が明治時代に購入したという貴重な品は深川製磁の特注の会席セット。他にも金庫には[…続きを読む]

2026年6月26日放送 19:25 - 21:54 テレビ東京
所さんのそこんトコロ!開かずの金庫を開けろ!
岡野が諫早市の開かずの金庫を調査。依頼者の杉谷さんは1811年創業の杉谷本舗8代目だった。三笠宮ご夫妻の写真や、諫早駅開業当時の看板などがあった。金庫の年代は40~50年前のものだった。玉置さんは10分ほどで開錠に成功した。中からはオープンリールテープや音声用テープ、16mmフィルムのテープが出てきた。後日データ化すると昭和に製作されたCM映像だとわかった。[…続きを読む]

2026年6月5日放送 22:45 - 23:29 NHK総合
潜入!愛しの大使館オランダ編
駐日オランダ王国大使館の農務参事官、デニーズ・ルッツさんに1カ月密着。この日やってきたのは水戸のパプリカ農園。農園では与える水や肥料の量などを機械で自動制御。これらの技術はオランダから導入されたもの。デニーズさんの仕事はこうした技術を日本に広めること。オランダは農産物輸出額は世界2位。支えているのがハウス栽培を中心とする最先端の農業技術。害虫退治はドローンで[…続きを読む]

2026年5月2日放送 11:08 - 11:54 NHK総合
鶴瓶の家族に乾杯葉加瀬太郎 長崎市の旅
長崎には甘い物がたくさん。カステラの他、食べるミルクセーキやかんころもち、よりより、シースクリームなどがある。鎖国の時代、長崎は外国との貴重な窓口。オランダや中国の商人が続々とやって来た。そんな彼らが持ち込んだのが砂糖。当時、高級品だった砂糖は、外国人から遊女への贈り物として珍重され、そこから町へと広がっていった。

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