- 出演者
- 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) 石原良純 小泉孝太郎 高嶋ちさ子
オープニングの挨拶。
長崎・南島原市は島原の乱の舞台。天草四郎が最期を遂げた原城は2018年に世界文化遺産に登録された。はねぎ搾りの酒蔵「吉田屋」は大正6年創業。はねぎ搾りはてこの原理で搾り出す伝統製法で今もこの方法で作っているのは全国で5~6カ所。四代目として吉田嘉明さんが100年以上の歴史と伝統製法を守り続け、4年前に息子・嘉一郎さんが五代目に就任。新ブランドが世界で評価されるなど新たな取り組みも。吉田屋のお屋敷は母屋、蔵6棟あり総敷地面積は約1200坪。吉田屋の礎となった家業は木蝋づくり。木蝋は蒸したハゼノキの果皮を搾って作られるロウソクの原料。吉田屋は木蝋を島原藩に納め殿様に拝謁できる身分だったという。
お屋敷には西郷隆盛の書が飾られていた。西郷隆盛の書は偽物が多く吉田さんも本物かどうかは分からないという。他にも祖父が収集したコレクションが数多く残されていて歴史的価値や背景が分からないものがいくつもあるとのこと。和楽器4点、有馬城案内記を見せてもらった。続いて元々米蔵だった場所へ。現在は吉田屋の日本酒飲み比べなどが楽しめるカフェとなっている。店内にはギターやバイクなどが飾られている。
木蝋づくりを生業としていた吉田屋。開国を機に海外から油の輸入が行われ木蝋の需要が減少し、吉田屋が挑戦した新たな家業はタバコの製造。しかし明治37年、タバコが政府の専売となったためタバコ製造業は廃業。明治38年、地元に有家銀行を共同設立。昭和初期に合併され現在は十八親和銀行に。吉田屋が明治時代に購入したという貴重な品は深川製磁の特注の会席セット。他にも金庫には満洲重工業開発の株券、古銭などが入っていた。今回、吉田屋に受け継がれてきた5品を専門家に鑑定してもらうことに。
吉田屋にある受け継がれてきた5品を専門家が鑑定。金庫にあった江戸・昭和の古銭の鑑定額は10万円。二分金は希少とのこと。島原藩士から譲り受けた江戸時代古文書の鑑定額は15万円。武家の文書は数が少なく希少とのこと。続いて年代不明の和楽器4点を鑑定する。
年代不明の和楽器4点の鑑定額は30万円。篳篥は珍しい楽器で状態も良いとのこと。吉田屋特注の深川製磁食器セット25人分の鑑定額は100万円。100年前でも保存状態が良いことや既製品ではなく特注品なことが評価のポイント。
祖父の代からある西郷隆盛の書の鑑定ポイントは字の書き出し、墨のかすれ具合、落款。西郷隆盛の書は偽物が多いという。内容は西郷隆盛が大久保利通や岩倉具視らと対立し政府の職を辞職し鹿児島に戻った際、地元の風景と心境を謳ったもの。山岡さんでも判別可能とのことで、西郷南洲顕彰会の理事・専門委員の高柳毅さんの元を訪れた。高柳さんは西郷隆盛を研究し続け50年、西郷隆盛の作品を見極められる数少ない人物。西郷隆盛は3つセットの落款を5パターン所持していた。高柳さんにとって落款は見極められる重要なポイント。素人では気づかない署名の書き方も見極めポイント。筆跡と運筆は流れるような書体が特徴とのこと。高柳さんの鑑定結果は正真正銘の本物だった。
本物の西郷隆盛の書の鑑定額は200万円。今は需要は少ないため売りに出すとしたら200万円ほどとのこと。江戸時代から続く「酒蔵 吉田屋」に代々受け継がれてきた品々は鑑定額では計り知れない価値があった。
お宝鑑定大募集の案内。
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明治時代まで大門の辺りから増上寺の敷地だった。その敷地総面積は東京ドーム約17個分、約25万坪。かつては参道だった道を歩いて増上寺方面へ向かう。三解脱門から大門までの参道は約195mの間に数多くの子院が並んでいた。三解脱門は2032年まで約50年ぶりとなる大規模な保存修理工場中。
大門から三解脱門までの長さは108間。江戸時代は芝で一番高い建物が三解脱門で大勢の人が訪れる場所だった。町民たちは三解脱門に登り眼下に広がる海岸線を楽しんでいた。その三解脱門は現在工事中。三解脱門を抜けるといよいよ大本山増上寺の境内へ。増上寺の大梵鐘は東日本最大級の鐘。浅草寺・上野寛永寺などに並ぶ江戸時代の代表的な鐘。現在も朝5時半、夕方5時半の1日2回鐘をついている。
オープニング映像。
英会話教室の講師・安藤佳世子さんの幸福時間はフラワーアレンジメント。一体感を出すため高低の差や横幅に変化をつけどの角度から見てもきれいになるようにする。8年前に始めた。子供の頃の夢は花屋になることでずっと興味を持っていた。出来上がったら台所に飾る。2週間ほどで枯れてしまうが時間の流れを感じ気持ちの切り替えにもなっている。
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- 秦野市(神奈川)
私の幸福時間の番組宣伝。
増上寺の大梵鐘は浅草寺・上野寛永寺などに並ぶ江戸時代の代表的な鐘。昔は直線距離約35m離れた千葉県木更津まで響いたという。浄土宗のお焼香は右手の親指・人差し指・中指の3本でお香を軽くつまむ。本堂内陣は寺院のご本尊を祀り僧侶が法要や祈願を行う神聖な空間。阿弥陀如来御本尊・ご弥陀如来は明治時代に京都の知恩院から譲り受けたもの。増上寺は江戸時代には3000人の僧侶が修行していたという。安国殿は家康が戦で肌見離さず持っていた黒本尊を祀るお堂。黒本尊は家康が信仰した阿弥陀如来像の通称で勝運や厄除けの仏像。元々安国殿で祀られていた家康は神仏分離の影響で芝東照宮へ。その代わりに黒本尊をお祀りしている。徳川家霊廟は歴代将軍6人とご親族たちが埋葬されているお墓。
増上寺の墓所で祀られているのは徳川歴代将軍6人とご親族たち。鋳抜門は6代将軍・家宣の墓前にあった門を移築したもの。歴代将軍のお墓は元々広大な敷地内に点在して祀られていた。戦争で焼失などを経て現在は徳川家霊廟に集約された。2代将軍・秀忠の墓所は一線を画す豪華さだったという。
徳川家の菩提寺は家康によって増上寺になったが将軍の遺命・遺言のよってお寺を変えたという。上野寛永寺は天台宗の天海大僧正により創建された寺院で、天海大僧正の影響で将軍によって埋葬場所が分かれた。15代将軍・徳川慶喜は神道のため谷中霊園に埋葬されている。増上寺は元々は江戸城近くの平河町・麹町にあった。
増上寺を芝大門に移転した理由は江戸城改築がきっかけ。移転先として自然豊かで景観がよく強固な地盤の芝大門が墓所として選出された。
