- 出演者
- 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) 石原良純 小泉孝太郎 高嶋ちさ子 渡辺瑠海 藤本美貴 宮川大輔 今田美桜 浮所飛貴(ACEes)
今回、小泉孝太郎が潜入するのは世界中から著名人が通う名店。親子三代にわたり、技術と文化を継承してきた100年の歴史を持つ一家。今では当たり前になっているあることを初めて行ったことで、文化人や映画スターなど国内外の大物が訪れるようになった。やって来たのは1927年創業の「浜作」。三代目主人は森川裕之さん。浜作は森川裕之さんの祖父にあたる初代・森川栄さんが創業。以来、美食の都・京都でも指折りの名店となり、日本各界のトップや世界の著名人までもが訪れる名店になった。志賀直哉やチャップリンなど来店した大物たちのサインを見せてくれた。初代の頃から使っているカウンター。2021年、新町通六角に本店を移転。店内は明治3年の建物を改築したものになっている。コース料理の客単価は10万円以上。卓越した技能者に与えられる証・現代の名工に京料理界最年少の55歳で認定された森川裕之さん。完全予約制となっていて、お客さんはこの席に座れる1回転だけ。小泉孝太郎が座ったのは料理人の手捌きや食材の香りを楽しめる“かぶりつき”という特等席。料理の様も味わってほしいのが代々の流儀。メニューはなく、その日の食材で最高のレシピを考えるという。一品目に使用する食材は鱧。鱧の骨切りとは小骨が多い身を皮1枚を残して切る調理技法。浜作では皮の半分まで切り込みを入れるという。熱を通した鱧の身は牡丹の花のように身が開くことから牡丹鱧と呼ばれ、浜作の名物。出汁を加えたら「鱧の葛たたき椀」が完成。器にもこだわっており、夏は清涼感と開放感を出すために平椀を使用する。森川裕之さんが店を継いだのは35年前、まだ28歳だった。二代目の父・森川武さんは58歳で急死した。40年間使用している柳刃包丁は何度も研いだことで小さくなっていた。
40年間使用している柳刃包丁は何度も研いだことで小さくなっていた。骨切りは皮を貫通しないよう渾身の力で包丁を止めるため、柄の部分がすり減るという。割烹の割は包丁を使う、烹は火で煮炊きするという意味。鱧のお椀には割烹の技が凝縮されているという。二品目は「鯛のお造り」。明石海峡の鯛は海老を食べているため、海老の色素で鯛の表面が赤くなる。明石の鯛のお造りは浜作がなければ生まれなかったという。東海道線が開通した後、明石港に揚がった魚を鉄道を使って運ぶ流通システムを浜作が作ったという。さらに料理人が腕を振るう様子をカウンター越しに楽しめるようにしたのは浜作が日本で初めて。三品目は祖父自慢の逸品。
今年で創業100年、親子三代で受け継ぐ浜作。コース料理の客単価は10万円以上。三品目は「鮑のバター焼き」。チャップリンも食べたという。三代目を受け継いだのは35年前。創業100年を迎える今年、ある大きな決断を公表。明石の鯛を独自のルートで仕入れ、カウンター割烹のスタイルを確立し、世界中のVIPを魅了した祖父・森川栄さん。二代目・森川武さんは板場を守るだけでなく、京都・都ホテルに和食堂「都ホテル浜作」を開業。さらに老舗デパートの大丸や高島屋に惣菜売り場を設けるなど、和食を世に広めるため、新しい試みにも果敢に挑戦した。しかし、森川武さんは58歳で急死。当時28歳だった森川裕之さんは突然、三代目として店を継ぐことになった。最初の10~15年は針のむしろ、茨の道だったと話した。それでも受け継いだ店を守り、今では多くの常連客に愛されるように。森川裕之さんは9時間にも及ぶ心臓のバイパス手術をしたといい、店に立てる状態ではない。しかし、毎日満席のため、命を削る思いで板場に立っている。英気を養う場所が芦屋、別荘は約10年前に購入。地上3階・地下1階の14LDK。音楽会や食事会を開催し、森川裕之さん自らゲストに料理を振る舞う。料理教室も開催するという。ウォークインクローゼットにはトレードマークの蝶ネクタイが300本近く置いてある。別荘にやって来たのはクラリネット奏者のリチャード・ストルツマンさん。森川裕之さんは音楽は私の人生に絶対必要だと話した。32年前に始めた料理教室を今も続けている。なぜ、板場に立ち続けるのか、そこには亡き父と交わした約束があった。
森川裕之さんは100周年の節目で店を一旦閉じることを決意。血縁が継ぐ必要はないといい、部分的でも残していけたら良い。それを今やっていると話した。父・森川武さんは亡くなる前に100年まで頑張れといい、それから3日後に亡くなったという。
4月上旬、池でカルガモが巣を作り、卵を生んだ。全部を産卵してから温め始め、22~26日で一斉に孵化する。5月中旬、8羽のヒナが誕生。埼玉・さいたま市の大宮山東光寺には毎年のようにカルガモがやって来る。ヒナが生まれた後、約1km離れた氷川神社に引っ越しをする。警察が出動することもあり、街の風物詩となっている。番組では毎年、その引っ越しに密着してきた。カルガモは野鳥なので許可なく触れたり、捕獲したりすることは禁止されている。引っ越しの場合でも触れてはいけないという。引っ越しのタイミングはヒナが生まれてから3~4日の間。それまでは池で泳ぐ練習をしたり、境内で歩く練習をする。翌朝、巣から出てきたカルガモ親子。8羽から11羽に増えていた。3羽は生まれたばかり。これから泳ぎを覚え、歩く体力をつけてから引っ越しを始めるが、去年は歩く練習もせずに引っ越しを始めた。2年前、タヌキによって全ての卵が食べられた。そこで動物避けを設置。さらにカルガモの巣の近くにできたカラスの巣を撤去。カラス対策として天敵のタカなどの声を出す音声装置も設置。しかし、カルガモたちはこの場所に長くとどまるのは危険と判断し、できるだけ早く引っ越しを始めたという。何回も繁殖していない親鳥は全ての卵に満遍なく熱を伝えるのが下手で、温めきれていない卵がある。そういうヒナは成長が悪く、大きさに差が出るという。今年も直前に生まれた3羽のヒナを連れて引っ越しを開始。母ガモは卵を温めている合間に引っ越し先を偵察している。天敵が少なく、子ガモのエサが豊富な場所を探索するという。まず、小学校のプールにやって来たカルガモの親子。開放前だったため、エサが豊富だった。イタチやタヌキなどの外敵に襲われづらく、体力強化にも最適。しかし、近くにはカラスが。
引っ越しを開始したカルガモの親子。最初にやって来たのは小学校のプール。近くにはカラスが。イタチなどの外敵は水辺には来ないが、空からカラスがヒナたちを狙う。この日、カルガモの親子はプールで一晩を過ごした。朝になると引っ越しを再開。目指すのは約1km先の氷川神社。ヒナたちの中でどうしても遅れてしまう1羽が。鳥類は地理的感覚が優れているため、目的地が見えていなくても認識が可能。
ここからは道路に沿って目的地の氷川神社を目指すカルガモの親子。道路脇の側溝にはカルガモファンの人たちがクリアファイルを置く。ヒナにとって側溝の穴は危険。過去には穴に落ちてしまったこともある。
オープニング映像。
新潟市江南区は市の中央にあり、かつては川に囲まれた湿地や水害に悩まされた地域だったが、戦後に土地改良が進められ、広い農地ができた。宮澤裕司さんはコンクリートでできた橋などを解体する会社を経営し、営業や打ち合わせで関東各地にも毎週出向いている。週1回の幸福時間が洗車。週末に晴れると自宅の駐車場で3時間ほどかけて洗う。子どもの頃から車が好きで、20歳で運転免許を取り、親の車を運転した時から洗っている。汚れが溜まりやすいタイヤのホイール部分は専用の洗剤と道具で念入りに洗う。最後に素早く拭き上げる。
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- 江南区(新潟)
「私の幸福時間」の次回予告。
途中で日陰に入り、ヒナのために休憩を取る母ガモ。カルガモは相手を見失った時に声で連絡を取り、頻繁に大きな声を出す。10分後、引っ越しを再開。1日遅れで生まれたヒナは遅れぎみ。母ガモは空き地に入り、神社までの最短ルートを選択。しかし、この先は行き止まり。再び休憩するカルガモの親子。その様子を近くで見ているカラス。
空き地で休憩するカルガモの親子。その時、カラスが近くまでやって来た。ヒナが襲われることはなかったが、狙い続けている様子。すると、カルガモファンがCDの反射や天敵の鳴き声でカラスを追い払った。引っ越しを再開するカルガモの親子。参道まで到着。あとは1日遅れで生まれたヒナがついて行けるかどうか。
「夏色の雲が恋と嵐をまきおこす」の番組宣伝。
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1日遅れで生まれ、引っ越し中も遅れぎみだったヒナも池に到着。11羽全員での引っ越しに成功。
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- カルガモ
エサが豊富で外敵からも身を守れるこの池でヒナたちは大人になり、母ガモと同じように親となって子どもを連れて引っ越しをする日がやって来る。2022年のカルガモの引っ越しでは7羽のヒナを連れた母ガモが気温37度の中で移動。途中、大きな茂みに入り込み、ヒナが行方不明に。近隣住宅からホースを借り、水を撒いた。すると、茂みからカルガモの親子が出てきたが、ヒナは6羽しかいない。7羽目のヒナは後日、茂みの中で息絶えた姿で見つかった。今回は全てのヒナが無事に引っ越しを終えた。空き地でカラスに襲われそうになったシーンについて、専門家は母ガモがカラスから守る自信があったのでは。カラスは猛禽類とは違い、脚でヒナを連れて行く力はないという。
「クロスロード ~救命救急の約束~」の番組宣伝。
