東日本大震災で息子を亡くし、語り部活動を続けている女性が広島を訪れた。震災と戦争の違いはあるが、過去の出来事をどう語り継いでいるのかを学ぶことが目的。宮城県名取市閖上地区では震災で700人以上が犠牲となり、多くの家屋や思い出の品も津波で流された。語り部の丹野祐子は中学1年生の息子を津波で亡くした。自分と同じ経験を他の人にはさせたくないと活動をしたきた。震災から14年が経ち、町並みも変わる中、震災を経験していない人たちにどうすれば自分ごととして考えてもらえるのか悩むことが増えた。どうすれば命の大切さを考えてもらえるのか、長年被爆の実相が語り継がれている広島にその手がかりがあるのではと考えた。
震災の語り部である丹野祐子は、40年以上にわたって自身の被爆体験を伝えている被爆者の小倉桂子の話を聴いた。原爆資料館もじっくり見学し、展示品の中でも特に、日常的に使われていたものが印象に残った。一瞬で日常の生活が奪われたことを当時の物とその背景を伝えることで見た人に想像させることが出来ると感じた。また、被爆者の思いを受け継いだ若者がガイド役として原爆や平和について一緒に考えるツアーが大きな励みになった。過去の記憶が引き継がれ、自分なりに工夫して伝えている若者を目の当たりにし、自身の体験を語ることの意味を再認識した。丹野は「若い人たちにどう伝えるのかを考えていく」などとコメント。そして、語り部のメンバーや活動を支えてくれている人たちに広島での学びを共有し、被災地での活動に活かしていきたいと話していた。
震災の語り部である丹野祐子は、40年以上にわたって自身の被爆体験を伝えている被爆者の小倉桂子の話を聴いた。原爆資料館もじっくり見学し、展示品の中でも特に、日常的に使われていたものが印象に残った。一瞬で日常の生活が奪われたことを当時の物とその背景を伝えることで見た人に想像させることが出来ると感じた。また、被爆者の思いを受け継いだ若者がガイド役として原爆や平和について一緒に考えるツアーが大きな励みになった。過去の記憶が引き継がれ、自分なりに工夫して伝えている若者を目の当たりにし、自身の体験を語ることの意味を再認識した。丹野は「若い人たちにどう伝えるのかを考えていく」などとコメント。そして、語り部のメンバーや活動を支えてくれている人たちに広島での学びを共有し、被災地での活動に活かしていきたいと話していた。