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「関東大震災」 のテレビ露出情報

約150年が過ぎた明治初期にある夢を抱いて上京したのは石川佳純の高祖父である石川善五郎だった。形見の品は絵で画家を目指していた善五郎が郷を構えたのは浅草にある三筋町で作品の制作に没頭し国の展覧会にも出品。模写した絵などを売り暮らしていたが、明治18年の時に善五郎と妻のトラとの間に次男の晋が生まれ佳純の曽祖父だという。明治39年に晋は21歳で小さな事業を始め缶を製造する町工場を立ち上げていた。晋の五男である石川昇は当時の様子を父から聞いており「のりや茶の缶屋をやっていた、商売は上手く行き注文があった」とコメント。大正6年には晋が同郷の岩谷かなと結婚し、子宝にも恵まれていた。工場は職人を多く抱え豊かな暮らしを手に入れたが大正12年の9月1日に関東大震災が発生。浅草は瓦礫の山となり工場も被災し晋は財産の殆どを失い松江市にいる親族の元に身を寄せたという。晋が悪性のリウマチを患い半身不随になり、石川昇は「病院でもう治りません一生働けませんよと食うや食わずの生活が続いた」などと話している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月26日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース列島ぶらり旅
散策マップを作った明治大学の学生に神田駿河台を案内してもらう。関東大震災の4年後に復興のシンボルとして架けられた聖橋は、総武線・中央線・丸の内線の路線が交わって見える。角度や時間によって変化する風景が魅力。神田猿楽町の男坂も関東大震災後の都市整備の中で設けられた。両側には明治大学の校舎があり、「虎に翼」の主人公が通った女子部の校舎だった。続いて神田神保町で明[…続きを読む]

2024年6月25日放送 20:55 - 22:00 TBS
マツコの知らない世界マツコの知らない西荻窪の世界
西荻窪は高級料理店・お手軽飲み屋・外国料理店が入り混じり、独自の食文化を形成している。関東大震災以降、文化人が地盤の固い武蔵野台地に別荘を構えるようになり、それが西荻窪における高級料理文化の土壌になったという。その後の東京大空襲によって西荻窪周辺に闇市ができ、これがお手軽飲み屋文化の土壌になったとのこと。

2024年6月23日放送 4:15 - 4:18 NHK総合
カラーでよみがえる東京(カラーでよみがえる東京)
明治時代から新たな文化の発信地として栄えてきた銀座。大八車や馬車鉄道が行き交っている100年前の映像をカラー化し伝えた。大正時代には路面電車が交通の主役となり、関東大震災の数年後にはモダンガールがお洒落を楽しんだなどの様子が伝えられた。

2024年6月22日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち(新美の巨人たち)
横浜市立子安小学校を、松丸亮吾が訪れた。子安小学校は、山本理顕設計工場が設計した。子安小学校は明治6年に創立し、メディアセンターには創立145年記念に児童が制作したステンドグラスが展示されている。子安小学校は、校舎と体育館の間に庭があり、階段横の吹き抜けは換気を担っている。

2024年6月22日放送 7:30 - 8:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本土曜すてき旅
散策マップを作った明治大学の学生に神田駿河台を案内してもらう。関東大震災の4年後に復興のシンボルとして架けられた聖橋は、総武線・中央線・丸の内線の路線が交わって見える。角度や時間によって変化する風景が魅力。神田猿楽町の男坂も関東大震災後の都市整備の中で設けられた。両側には明治大学の校舎があり、「虎に翼」の主人公が通った女子部の校舎だった。続いて神田神保町で明[…続きを読む]

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