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「関東大震災」 のテレビ露出情報

江戸三大祭りの一つ「深川八幡祭り」。見物客50万人以上が集まるこの祭りは3大将軍・徳川家光の息子・家綱の誕生祝いが起源。神輿の起点となっているのが富岡八幡宮。場所は東西線・門前仲町駅から徒歩3分。八幡宮とは第15代・応神天皇を祀った神社。弓の達人だったため、武神として崇められている。勝負事の神様なので必勝祈願や何か成し遂げたい方々のお参りが多いそう。富岡八幡宮は“始まり”に縁のある場所。日本全国を徒歩で測量し、大日本沿海輿地全図を完成させた伊能忠敬は門前仲町に住んでいて、八幡様にお参りしてから旅に出たと言われ、日本地図のスタート地点が富岡八幡宮。第一次測量時の年齢は55歳だった。富岡八幡宮は寛永4年(1627年)に創建。当時は永代島と呼ばれ、風光明媚なスポットとして人気を集めた。周辺は漁師町として発展し、「深川めし」はこの地を代表する料理として現在も親しまれている。東京大空襲で深川は米軍の目標地点とされ、一帯は大きな被害が出た。昭和天皇は1945年3月18日、富岡八幡宮を訪問し、その目で一帯の惨劇をご覧になった。社殿2階の「萬世泰平」の文字は終戦の勅から取られたと言われている。東京の各神社では町みこしが行列を組み渡御する連合渡御があるが、町みこしの文化、連合渡御の文化のスタートは富岡八幡宮。富岡八幡宮には現在、一の宮みこし・二の宮みこしがあり、深川八幡祭りで担がれているのは小さい方の二の宮みこし。初代のみこしは江戸時代の豪商・紀伊国屋文左衛門が寄贈。その後も明治・大正と受け継がれるが、関東大震災で焼失。みこしのない時代が60年以上続いたが、平成3年、本社みこしが復活。本社みこしにはダイヤモンドも付いている。10本の担ぎ棒を含め重さ4.5t。重さと大きさゆえに、平成3年以来担がれることはなかったが、令和9年に富岡八幡宮は400年を迎え、記念として担ぐ予定になっている。実は大相撲の始まりも富岡八幡宮。横綱が誕生した際に見る映像は富岡八幡宮が舞台だった。富岡八幡宮では約100年にわたり相撲が取り行われ、その後、舞台を両国に移した。石碑の裏には相撲の歴史が刻まれている。石碑は12代横綱・陣幕久五郎が造った。横綱が誕生すると土俵入りをして名前を刻むことになっている。土俵は両国に移ったが、相撲の歴史は富岡八幡宮に刻まれていく。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年11月2日放送 10:30 - 11:00 テレビ東京
ブレイクスルー(ブレイクスルー)
住友林業が開発した木造の壁は金物を一切使用しておらず、積み重ねて上から圧力をかけている。ポストテンション工法といい、木材の中に鋼棒を入れて上と下で締め付け、一箇所あたり100トンくらいの重しを上から載せたような状況を作り出す。木造は軽いというのが特徴だが、軽すぎると地震等で透過する可能性があるため、地震等のエネルギーを吸収するために金物を使用して吸収させる。[…続きを読む]

2024年11月1日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース日めくりカレンダー
NHKのアーカイブス映像できょうの出来事を振り返る。11月1日は日本で初めて西洋式灯台が着工された日を記念する「灯台記念日」。全国各地の灯台で様々な催しが行われる。神奈川県三浦市「城ヶ島灯台」は、横須賀製鉄所の建設のために来日したフランス人技師・ヴェルニーが、明治初期に設計した日本で5番目の洋式灯台。関東大震災後に再建され、東京湾の出入り口を照らし続けた。初[…続きを読む]

2024年10月30日放送 11:30 - 11:54 NHK総合
ひるまえほっと(特集)
豊洲市場にある図書室「銀鱗文庫」は昭和36年に開設され所蔵は約3000冊。銀鱗文庫は魚に関する本のみで誰でも利用可能。管理している福地さんは1人で切り盛りしている。銀鱗文庫は本だけでなく写真や道具もある。豊洲市場に図書室があるのは市場で働く人々に本を読んでもらいたいという思いから。本や資料は市場で働く人達から提供してもらったもの。
福地さんは過去にファッシ[…続きを読む]

2024年10月22日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
紫式部の源氏物語は1000年に渡って読みつがれてきた日本文学史上最大のロングセラー。登場人物は450名以上。初めて現代語訳したのが与謝野晶子。大阪・堺市に生まれた。与謝野鉄幹が気管支「明星」を創刊すると、すぐさま投稿し才能の片鱗を示した。妻帯者の鉄幹と恋に落ち、鉄幹が妻と別れて2人は結ばれた。「みだれ髪」では鉄幹への想いを表現して熱狂的な支持を集めた。そんな[…続きを読む]

2024年10月18日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニング林修のことば検定スマート
きょうは冷凍食品の日。冷「凍」で「10」と、冷凍食品の世界共通の管理温度がマイナス18℃であることから、きょうに定められている。日本の冷凍食品事業は、大正時代に始まり、冷凍工場や冷凍船が作られた。大正12年の関東大震災では、冷凍船を使い、食料が不足している東京に鮭を配ったという。

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