きょうのテーマは「記録が紡ぐプロ野球90年の歴史」。現在、交流戦が盛り上がりを見せるプロ野球も今年が節目の90年。往年の名選手にまつわる記録や野球の歴史を伝える野球殿堂博物館では現在、特別展示を開催中。展示のテーマは「スター選手と大記録」。昭和、平成、令和と紡がれた90年の歴史を振り返る。
現在開催中の野球殿堂博物館の特別展示を野球殿堂博物館・関口貴広主任学芸員が案内。野球の神様・ベーブ・ルースは1934年に来日。米国MLB選抜と日本の学生OB&社会人が対戦し、日本は16戦全敗。これをきっかけにプロ球団・大日本東京野球倶楽部(現・読売ジャイアンツ)が生まれた。翌年には大阪タイガースも誕生し、1936年、7球団でのペナントレースが始まった。入場料は1円50銭。
戦争による苦難の時代を乗り越えたプロ野球は、スター選手の登場とともに人気に火がついた。川上哲治の赤バットを紹介。赤バットがトレードマークの“打撃の神様”川上哲治は日本プロ野球史上初の2000安打を達成。人気の高まりとともに参入を希望する企業も増え、1950年には現在の2リーグ制がスタート。日本シリーズも初めて行われた。1953年にテレビ放送がスタートし、野球は国民的スポーツへ成長を遂げた。今回の特別展のために長嶋茂雄さんの自宅から借りたものも展示されている。1959年に天覧試合が開催され、長嶋さんはこの試合で2本のホームランを放つ大活躍。その試合で使っていた実際のバットが現在展示されている。
平成のスターといえばイチロー。1994年、登録名をイチローに変え、プロ野球史上初のシーズン200本安打を達成。1995年はシーズン開始前に襲った阪神淡路大震災からの復興「がんばろうKOBE」をキャッチフレーズに、オリックスは勝ちを積み重ねていった。イチローは2000年まで7年連続首位打者という偉業を成し遂げ、その後、活躍の舞台をメジャーへと移した。
大谷翔平のプロ野球初先発の第一球が展示されている。大谷はヤクルトとの交流戦で1軍初先発を果たした。伝説の始まりを告げる1球は152キロのストレート。その後も進化を続ける大谷のストレートに日本中が熱狂。今回の特別展示では日々更新されていく偉大な記録を間近で感じられる。大谷が日本のプロ野球の最後の試合で投げたボールも展示されている。野球殿堂博物館「プロ野球90年記念展」は7月2日まで開催。
現在開催中の野球殿堂博物館の特別展示を野球殿堂博物館・関口貴広主任学芸員が案内。野球の神様・ベーブ・ルースは1934年に来日。米国MLB選抜と日本の学生OB&社会人が対戦し、日本は16戦全敗。これをきっかけにプロ球団・大日本東京野球倶楽部(現・読売ジャイアンツ)が生まれた。翌年には大阪タイガースも誕生し、1936年、7球団でのペナントレースが始まった。入場料は1円50銭。
戦争による苦難の時代を乗り越えたプロ野球は、スター選手の登場とともに人気に火がついた。川上哲治の赤バットを紹介。赤バットがトレードマークの“打撃の神様”川上哲治は日本プロ野球史上初の2000安打を達成。人気の高まりとともに参入を希望する企業も増え、1950年には現在の2リーグ制がスタート。日本シリーズも初めて行われた。1953年にテレビ放送がスタートし、野球は国民的スポーツへ成長を遂げた。今回の特別展のために長嶋茂雄さんの自宅から借りたものも展示されている。1959年に天覧試合が開催され、長嶋さんはこの試合で2本のホームランを放つ大活躍。その試合で使っていた実際のバットが現在展示されている。
平成のスターといえばイチロー。1994年、登録名をイチローに変え、プロ野球史上初のシーズン200本安打を達成。1995年はシーズン開始前に襲った阪神淡路大震災からの復興「がんばろうKOBE」をキャッチフレーズに、オリックスは勝ちを積み重ねていった。イチローは2000年まで7年連続首位打者という偉業を成し遂げ、その後、活躍の舞台をメジャーへと移した。
大谷翔平のプロ野球初先発の第一球が展示されている。大谷はヤクルトとの交流戦で1軍初先発を果たした。伝説の始まりを告げる1球は152キロのストレート。その後も進化を続ける大谷のストレートに日本中が熱狂。今回の特別展示では日々更新されていく偉大な記録を間近で感じられる。大谷が日本のプロ野球の最後の試合で投げたボールも展示されている。野球殿堂博物館「プロ野球90年記念展」は7月2日まで開催。
住所: 兵庫県西宮市甲子園町1-82
URL: http://www.hanshin.co.jp/koshien/
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