甲子園球場は100年前と大きさはほぼ変わっていない。丸山健夫名誉教授によると、三崎省三の夢を実現したのが甲子園球場だという。かつて大阪-神戸間では阪神と阪急が熾烈な乗客獲得競争を繰り広げていたなか、阪神電気鉄道の三崎はニューヨークにあるコニーアイランドのようなレジャー施設の建設を発案した。1920年代、アメリカではメジャーリーグが人気を博し、各球団が拠点を置く都市では街が賑わいを見せていた。観客が甲子園球場の隅々まで見渡せるよう、スタンドの傾斜には緻密な計算が施され、球場の土は黒土と砂をブレンドして使用。砂状の土では打球がイレギュラーなバウンドをしてしまうが、黒土と砂をブレンドしたグランドでは球筋を予測しやすく守りやすい。そして、甲子園球場には大食堂、日焼け防止にもなる大鉄傘などがつくられた。