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「阿久先生」 のテレビ露出情報

八代亜紀さんが亡くなっていたと知らされたのは今年1月のことだった。代表曲の1つでもある舟唄はなぜこのような曲となったのか。謎を解く鍵は熊本県八代市にあった。原点となったのは小学生時代。コーラス部を指導していた恩師が思い出を語った。コーラス部は5・6年の児童のみだったが、練習時にいつも見ている低学年の女児がいて、それが八代亜紀だったという。やりたいか訊ねると元気な肯定する声が返ってきたため、一緒に活動することになったという。特徴的なハスキーボイスだったが、声を矯正することはせず、ソロの部分を作り、皆でハモリで盛り上げる工夫をしたという。こうして歌にのめり込んだ八代亜紀は歌い手を目指すように。15歳の時には年齢を偽り、クラブの歌手となった。八代亜紀自身はハスキーな自身の声が嫌いだったという。ところがコンプレックスが武器となり、1971年にデビュー。舟唄との出会い秘話を紹介。レコード会社が作詞を依頼したのは阿久悠。阿久悠は女心を何十枚も書いたというが、レコード会社が何個も断り、結局阿久悠が作ったのは男歌だったという。阿久悠は舟唄の詞について、「当時スポーツ新聞に連載していた阿久悠の実践的作詞講座で教材として書いたものである」と明かしていた。作曲家の浜圭介も「八代亜紀のハスキーボイスだからこそ名曲になった」などと評していた。八代亜紀のハスキーボイスが舟唄のラストピースだった。八代亜紀は死の直前まで地元ラジオ局の冠番組に出演し続けていた。八代の人のためにと無償で協力していたという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年12月22日放送 18:30 - 21:00 TBS
この歌詞が刺さった「グッとフレーズ」(昭和・平成・令和を支えてきたグッとフレーズ)
グッとフレーズをインタビュー。1970年代は数々のスターたちの作詞を手掛けヒットを飛ばした阿久悠の時代。沢田研二「勝手にしやがれ」が挙がり、心情を擬音にしたのは阿久悠が初めてといった声が聞かれた。男の人が強かった時代に全女性に向けて歌った戦闘力のある歌として、山本リンダ「狙いうち」も挙がった。

2024年12月14日放送 18:56 - 21:54 テレビ朝日
サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん(博士ちゃんドリーム紅白歌合戦)
最強のバラード歌手を選ぶ。白組の候補として徳永英明、サザンオールスターズ、オフコースが挙がった。選ばれたのは西田敏行だった。様々な役を演じてきた名優だが歌手としても活躍。代表曲は「もしもピアノが弾けたなら」。震災復興にも尽力し、復興支援ソングでサンドとも共演した。

2024年12月11日放送 19:00 - 21:00 日本テレビ
有吉の壁年末総決算!群馬2時間SP
有名人になりきってディナーショーを開催。有吉を笑わせられたら1ポイント獲得。チョコレートらがネタを披露した。

2024年11月17日放送 7:30 - 10:25 日本テレビ
シューイチ今昔NEWSイッチ
プロデューサーの思いを特集。1970年代、小柳ルミ子さんは国民的アイドルの基礎となった。スター誕生!という番組が登場した。日本テレビの視聴者参加型の歌手オーディション番組だ。阿久悠さんはできるだけ下手を選びましょうと言った。完成品より可能性のある人を選んでいたという。1990年代は安室奈美恵などが活躍。あるオーディションが話題になった。シャ乱Q女性ロックボー[…続きを読む]

2024年10月25日放送 19:00 - 20:00 TBS
ハマダ歌謡祭歌ってつなげ!年の差メドレー
テーマ「ハロウィンで盛り上がる!アゲアゲソングメドレー」にルーキー世代が挑戦。大角が「ルージュの伝言」、よよよちゃんが「ラムのラブソング」、鏡が「ジュリアに傷心」を歌った。「ちょこっとLOVE」はベテラン世代が横取り。

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