米沢祐一さんは生後1か月だった多恵さんの成長を願い、妻や両親とお宮参りに出かけていた。その後、東日本大震災が発生。祐一さんは営んでいた店を片付けていると、津波が襲来。岩手・陸前高田市には高さ17mの津波が押し寄せたとされる。祐一さんは商店の屋上で一夜を明かし、ヘリコプターで救助された。両親と弟は市が指定した避難所に逃れるも、津波で犠牲となった。同年、祐一さんは津波の恐ろしさを伝える語り部の活動を始め、娘の多恵さんは津波から身を守る大切さを学んできた。8歳の時、防災に関する自由研究を発表している。今年、多恵さんは父の体験を伝えていくことを決意し、念入りに準備して臨んだ。祐一さんは「俺が喋れなくなったら、喋ってくれよ」と期待した。
