能登地震の被害を受けた日本航空石川の生徒は地元・石川へ帰郷しつつある。東京・青梅市を拠点に活動を行う野球部は山梨の系列校と東京の大学の跡地を転々としてきたが、4割が帰郷する方針であり野球部は全員が能登に戻るという。2年連続で春のセンバツに出場してきたが野球部は14tトラックがいっぱいになるほどの機材を運んでいる。石川智規君は輪島市出身だが、被災した当時は旅行していたが戻ってくると自宅が無くなっていた、自分の目で見るっていうのはすごく生々しくてと話していた。山梨の系列校へ移転する中で一時は転向を考えたという石川君だが、野球を続けるのが正解だと自問自答して残ることを決意した。部員たちはボランティアにも積極的に参加してきた。戻ってきた学び舎について及川蓮志主将はいつもの匂いがすると振り返った。そして、部員たちは荷物を次々に荷下ろししていった。能登から目指す甲子園は直ぐ側に迫っている。