釈放され48年ぶりに日常を取り戻した巌とひで子。しかし戦いは終わっていなかった。村山の決定に検察が異議申立を行い判断は高裁に委ねられた。巌は確定死刑囚という身分のままだった。4年後、東京高等裁判所は本田のDNA鑑定は再現性がなく信用性が乏しいと否定。また5点の衣類はねつ造の可能性は低いと判断した。弁護団は特別抗告。判断は最高裁に委ねられることになった。ひで子は何があっても弟を守る。ひで子の気迫が周囲の人々をさらに奮い立たせた。支援者の1人、日本プロボクシング協会の新田渉世は、何度でも立ち上がるひで子の姿勢に打たれたという。新田は歴代の世界チャンピオンに協力を求め、巌の無罪を訴え続けた。さらに釈放後の暮らしを支える支援に挑むものも現れた。猪野待子は知人たちに声をかけ袴田さん支援クラブを立ち上げた。そして大きな転機が訪れた。最高裁はDNA鑑定の証拠価値を否定する一方、5点の衣類は審理が尽くされていないと高裁へ差し戻した。2023年3月13日、東京高裁は5点の衣類はねつ造の疑いがあるとし再審開始を決定した。検察は抗告を断念し裁判のやり直しが確定した。2024年9月26日、静岡地方裁判所は5点の衣類など3つのねつ造を断定。巌の無罪判決が言い渡された。