宮城県石巻雄勝町は、東日本大震災の発生後、人口は4分の1にまで減少した小さな漁師町。藤井さんがバレーボールを始めた旧大須中学校は2017年に閉校。バレー部が唯一の運動部だったが、体育館はあり、朝はグラウンドでの青空バレーで放課後は近くの小学校の体育館を借りて練習を行っていた。当時小学校の教師だった横江さんは夜まで熱心に練習する藤井さん達を見ていたという。青空バレーと夜間練習を行いバレー漬けの日々。ポジションはセッターで、アタッカーにトスを出すチームの司令塔。身長は中学生のセッターとしては高さのある175センチで、強豪古川工業高校の佐々木隆義さんがスカウト。その印象に飛び抜けてスゴイといった部分はないが、努力するというところは大きかったという。佐々木さんには、忘れられない光景があり、高校に入ってすぐに怪我をした藤井さんは数ヶ月ベットで過ごすことになったがその時もボールを持ってパスの練習をしていたがその練習がトスの練習に非常に良かったと語った。自主練習の甲斐もあってボールを操るハンドリング技術が向上し、逆境をばねに早いトスを磨きセッターとして原点を築いた。佐々木さんの勧めもあり、順天堂大学に進学。しかしその中でバレー人生の危機が訪れた。