2024年8月8日放送 1:30 - 2:30 フジテレビ

FNSドキュメンタリー大賞
不屈のセッター・藤井直伸 〜希望の星が遺したもの〜

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(オープニング)
不屈のセッター・藤井直伸~希望の星が遺したもの~

宮城県石巻市にある雄勝小中学校。東京オリンピックの開催から3年で故郷の誇りを称える横断幕が掲げられている。藤井直伸さんは東京オリンピック日本代表のセッターとなり、相手ブロッカーが全く追いつけない速さでバレーコートの半分の4m以上の距離を0.4秒ほどで正確にトスしている。同じ日本代表のセッターでも難しい連携だという。高さで劣る日本が勝つための速さをもたらし29年ぶりの五輪ベスト8をもたらした。藤井さんは東日本大震災で被災した故郷の思いを胸にプレーしていたという。しかしそんな時胃がんとなったがその仲間の思いは消えることがなかったが2023年に31歳で逝去した。

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オープニング

オープニング映像。

(FNSドキュメンタリー大賞)
不屈のセッター・藤井直伸~希望の星が遺したもの~

宮城県石巻雄勝町は、東日本大震災の発生後、人口は4分の1にまで減少した小さな漁師町。藤井さんがバレーボールを始めた旧大須中学校は2017年に閉校。バレー部が唯一の運動部だったが、体育館はあり、朝はグラウンドでの青空バレーで放課後は近くの小学校の体育館を借りて練習を行っていた。当時小学校の教師だった横江さんは夜まで熱心に練習する藤井さん達を見ていたという。青空バレーと夜間練習を行いバレー漬けの日々。ポジションはセッターで、アタッカーにトスを出すチームの司令塔。身長は中学生のセッターとしては高さのある175センチで、強豪古川工業高校の佐々木隆義さんがスカウト。その印象に飛び抜けてスゴイといった部分はないが、努力するというところは大きかったという。佐々木さんには、忘れられない光景があり、高校に入ってすぐに怪我をした藤井さんは数ヶ月ベットで過ごすことになったがその時もボールを持ってパスの練習をしていたがその練習がトスの練習に非常に良かったと語った。自主練習の甲斐もあってボールを操るハンドリング技術が向上し、逆境をばねに早いトスを磨きセッターとして原点を築いた。佐々木さんの勧めもあり、順天堂大学に進学。しかしその中でバレー人生の危機が訪れた。

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2011年3月に東日本大震災が発生。雄勝町の被害は死者・行方不明者243人で、地区の8割近い1300世帯が家を失うなど甚大な被害をうけた。藤井さんの家族は無事だったが実家が津波被害をうけて取り壊しを余儀なくされた。2017年に初めて日本代表入りを果たした藤井さんは久しぶりに生まれ故郷を訪れた。震災で経済的な余裕がなくなり、バレー人生の岐路に立たされたが、大学関係者が工面してくれバレーが続けられるようになった。多くの人の支えで未来につながったバレー人生。Vリーグチームに進んだ藤井さんは世界で共に戦う相棒と出会った。

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静岡県三島市に本拠地を置く東レアローズ静岡は、藤井さんが大学卒業後に入団したVリーグチーム。ここで唯一無二の相棒と出会った。藤井さんより1年早く入団した李博選手。2人の阿吽の呼吸で流れるように繰り出すBクイックは世界一美しいBクイックとも称された。Bクイックはセッターのすぐ前に短く早いトスをあげるのがAクイック。BクイックはAクイックより距離を伸ばし2m以上離れる分より高い技術が求められるが相手ブロックが対応しづらいという利点が生まれる。 李博選手は互いに苦手だった所から練習が始めたという。血のにじむ努力で生まれたBクイックは、日本代表として藤井さんと正セッターの座を争った関田誠大選手。藤井さんのBクイックを簡単に真似できるものではなかったという。レシーブが乱れても徹底して攻撃を仕掛けていく。2017年に2人はリーグ優勝の原動力に。その後日本代表に招集された。男子日本代表はフィリップ・ブランコーチのもとで練習を行った。速い攻撃をいかしたバレーが必要と考えていた。藤井もその一人で、関田選手は藤井さんから学びクイックを多く使うようになったという。

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男子バレーの進化を支えた藤井さんは明るい性格で、バレーの輪を広げた。チームの本距離がある静岡おでんの店はよくチームメイトで通っていた。茶目っ気があり義理につい人柄だったというがコートではチームを鼓舞する熱い姿が印象的だった。代表入りしてからも順風満帆ではなく2019年には試合中いチームメイトと衝突し左手を骨折。ボールを操るセッターとして致命傷になりうる大怪我だった。東京五輪の出場を目指していた藤井さんは東日本大震災で被災した故郷や、支えてくれた人のために感謝の思いを示そうとしている。

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21年に東京五輪が開幕。母校で佐々木隆義さんが見守る中で相棒の李博選手とともにオリンピックの舞台へ。2人で練習を重ねて生まれた世界一美しいBクイック。諦めなければ道が拓けることを示した。29年ぶりの五輪べスト8入りに貢献した。オリンピック後には元日本代表のセッターの美弥さんと結婚。決意を新たにチームで練習を重ねていた。しかしそこに予期せぬ出来事がおこった。

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藤井さんがつけていたバレーノートは対戦相手の分析やプレーの反省点などが細かく書かれている。2021年に12月18日に目の不調に関する記述があった。この症状がきっかけで胃がんを患っていたことが判明しこの時すでにステージ4だった。所属する東レアローズに病状を報告したが李博選手はこの出来事に状況を受け入れられず、新しい相方を見つけてほしいと言われたという。病魔に蝕まれ体の自由が動かなくなっていったというがチームを鼓舞し続けていたという。病状が悪化した年末に、家族は医師から年を越すのは難しいと告げられた。藤井さんは体育館に出向き李博選手や選手とボールでコミュニケーションをとった。年が明けて病室からは藤井さんがボールをトスをし、その1週間後には自らの足で立ち、パスをしていた。2023年3月10日に31歳で逝去し、宮城県石巻市ではお別れの会が行われ恩師の佐々木さんが言葉を贈った。共にメダルを目指した藤井さんへの思いが日本代表の結束を強めた。

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ワールドカップバレーが行われ日本代表は4大会ぶりに自力でパリオリンピック出場権を獲得した。その時に日本代表は藤井さんのユニフォームを掲げその勝利を喜びあった。2023年11月、この日藤井さんの両親は岩手県で行われる東レアローズの試合の応援に向かった。藤井さんの母のみちえさんは息子をなくしたことは悲しいが得るものもあったのでそれを無駄にはしないようにしたいと答えた。藤井さんが亡くなってから初めての試合会場での応援。近年、体調不良の影響で出場機会の減少している李博選手。この日はピンチサーバーでの出場。東レはこの試合2セットを連続でとられながら3セット目を取り返した。4セット目はデュースに持ち込み、熱戦を繰り広げた。

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藤井さんの一周忌前日に妻の藤井さんの妻の美弥さんが石巻市の実家を訪れた。順天堂大学バレー部の同期や後輩などが集合し、思い出話に花を咲かせた。一周忌法要が行われそこには恩師の佐々木隆義さんや小学校の教師だった横江さんの姿も。静岡県で開かれた追悼試合では妻の美弥さんが会場を訪れた。藤井さんの21番をつけ始球式が行われた。試合は東レアローズはこの試合で勝利し3位に。

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4月、藤井さんの母校の古川工業高校でこの春に好調に着任した佐々木隆義さんがどうしても伝えたかった事を生徒たちに話した。宮城県内の中学校の18チームが優勝を争ったバレーボール大会。古川工業バレーボールOB会が毎年開催していた大会を今回から藤井直伸記念大会として続けることにした。

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