藤井さんがつけていたバレーノートは対戦相手の分析やプレーの反省点などが細かく書かれている。2021年に12月18日に目の不調に関する記述があった。この症状がきっかけで胃がんを患っていたことが判明しこの時すでにステージ4だった。所属する東レアローズに病状を報告したが李博選手はこの出来事に状況を受け入れられず、新しい相方を見つけてほしいと言われたという。病魔に蝕まれ体の自由が動かなくなっていったというがチームを鼓舞し続けていたという。病状が悪化した年末に、家族は医師から年を越すのは難しいと告げられた。藤井さんは体育館に出向き李博選手や選手とボールでコミュニケーションをとった。年が明けて病室からは藤井さんがボールをトスをし、その1週間後には自らの足で立ち、パスをしていた。2023年3月10日に31歳で逝去し、宮城県石巻市ではお別れの会が行われ恩師の佐々木さんが言葉を贈った。共にメダルを目指した藤井さんへの思いが日本代表の結束を強めた。