第32軍司令部壕の作業に動員された男性は、いま軍のありように抱いた疑問を思い出す。かつての琉球王国の象徴・首里城。日本軍がその地下に学徒を動員して築いた司令部壕は5つの坑口と坑道が作られた。全長は約1km、深さは約30mに及ぶ。司令部壕など戦跡を巡るフィールドワークが行われた。沖縄平和祈念資料館友の会・中村真事務局長は「ここに垂直に掘られた入り口があった」と解説した。この穴から米国軍は30m地下の中枢部に下りていった。そのエリアにつながる坑道に先月カメラが入った。壁や天井には、掘り進めたつるはしの痕。坑木も3本確認できる。残されていたビール瓶にはダイニッポンブルワリーとあった。軍と住民の関係を象徴するとも言える場所は、第5坑口だ。牛島第32軍司令官が訓示の最後に掲げた「防諜に厳に注意すべし」。地の構築などに動員してきた住民に軍事機密を知られることへの警戒心からだった沖縄国際大学・石原昌家名誉教授は「沖縄県民総スパイ視、住民虐殺、集団死そういう流れが牛島司令官によって作られた」と語った。
住所: 沖縄県那覇市首里金城町1-2
URL: http://oki-park.jp/shurijo/
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