富山県高岡市で家具デザイナーをする丸谷芳正さんは吉村順三と畳める椅子を作り上げた。70代脳梗塞に倒れた吉村は体の麻痺に苦しんでいた。そんな状況で音楽堂の設計に取り組んでいた。1985年に、丸谷さんが吉村から見せられた1枚のスケッチは、線は震えているが畳める椅子の構造が的確に表現されていた。開閉するための丁番は金属ではなく木で作りたいと希望したが畳んだ時には美しくないとの理由だった。強度、形、座り心地すべてに納得いくまで図面を書き直す原寸模型を作る日々が続いた。実は畳める椅子には意外な原点が。日本人の生活は和室のように何も無い空間に人が来れば座布団を出し、たたむしまうがあったが、そういう流れで畳める椅子が考案しそれを現代のスタイルにアレンジした。この椅子は八ヶ岳高原音楽堂になくてはならないもの。通常音楽堂のステージは富士山を背負う形で設置されている。しかし演目によってステージを真ん中にくんだり、八ヶ岳の持ちを背景に配置できるように設計した。そのためのコンサートの規模にあわせ座布団のように出し入れできる椅子が必要だった。