TAKUMAは18歳でバンド活動を始め1997年に「10-FEET」を結成、3年後に上京したが音楽だけでは食べていけず自分の才能さえ疑うこともあった。マネージャーの松川将之は学生時代に10-FEETの曲に惚れ込み国立大学を中退して26年間苦楽を共にしてきた。「とにかく曲がいい」と本気で言ってくれたという。ROTTENGRAFFTYのN∀OKIはTAKUMAが悩んでいる時に車で家まで送ってくれて「お前やばいんやったら言えよ、俺が助けたんぞ」と言ってくれたという。救われたことを歌詞にした「RIVER」がオリコンで初のチャートインした。2007年、愛する地元京都で野外フェスを開くと錚々たるバンドの出演が決定した。しかし台風の接近でフェスは中止、絶望に打ちひしがれるTAKUMAに仲間たちは「来年も空けとくからさ」と声をかけてくれた。翌年、仲間が「京都大作戦」に再集結した。今年で16年の日本屈指の夏フェスになった。
コロナ禍の2020年、「SLAM DUNK」の映画化が秘密裏に始動する中、楽曲のオファーが届いた。ライブバンドがファンと繋がれないコロナ禍、今できることをやろうと夢中で10曲を書き上げた。原作者の井上雄彦さんからはオーダーがほぼなく10曲を渡しても「これだ」というのがなかったというが、「ここには主題歌はないんだけれども、でもやっぱりあなたたちだと思う」と言ってくれたという。納品にしばらく空くので「それまでボツ作でも聴いといてください」と渡したのが「第ゼロ感」だったという。紅白初出場の会見で10-FEETは井上監督と仲間たちへの感謝の言葉を語った。TAKUMAは「ドン底で聴いた歌は人生の名曲になる事が多い、だから落ち込んだら音楽聴け」と言った。
コロナ禍の2020年、「SLAM DUNK」の映画化が秘密裏に始動する中、楽曲のオファーが届いた。ライブバンドがファンと繋がれないコロナ禍、今できることをやろうと夢中で10曲を書き上げた。原作者の井上雄彦さんからはオーダーがほぼなく10曲を渡しても「これだ」というのがなかったというが、「ここには主題歌はないんだけれども、でもやっぱりあなたたちだと思う」と言ってくれたという。納品にしばらく空くので「それまでボツ作でも聴いといてください」と渡したのが「第ゼロ感」だったという。紅白初出場の会見で10-FEETは井上監督と仲間たちへの感謝の言葉を語った。TAKUMAは「ドン底で聴いた歌は人生の名曲になる事が多い、だから落ち込んだら音楽聴け」と言った。