1980年代、日本はスキーブームに湧いていた。スキー場を舞台にした映画はヒットし社会現象にまで発展。スキー用品は飛ぶように売れていった。ブームの中で燃え上がる1人の成年がいたそれがミズノに入社したばかりの荻野毅だった。会社の主力は野球。スキー用品は他社に遅れをとっていた。スキーの競技用ウエアの担当となった荻野は常識はずれの開発者だった。荻野がのめり込んでいったのは製品開発の世界。担当したスキージャンプのウエアでも突飛なアイデアを次々と出した。クジラはなぜあの体で高く飛べるのか、流線型の体が水の抵抗を小さくしていると考え、ウエアの背面に導入した。「革命的な商品を自分も作りたい」それが夢となった。しかし競技用のウエアには細かいルールーがたくさんあった。枠にとらわれたくないと一般向けの商品に没頭していった。誰もみたことのない作るには、新たな素材が必要と考えこれまでにない素材を探し求めていた。1992年8月、変わった商品があると商社マンからピンク色の綿を受け取った。それが「N-38」だった。商社マンから「湿気は吸うんやけどな」と聞き、荻野は突然冷えた麦茶を綿にかけた。すると繊維は熱くなった。荻野はすぐに繊維メーカーに声をかけた。やって来たのは東洋紡の住谷龍明だった。住谷龍明はこれまでにない繊維で不況を打ち破れと命じられていたができずにいた。住谷は荻野から「この繊維は羽毛やウールにとってかわれる一緒に世界を変えよう」と言われた。荻野は厳しい寒さでも体毛の働きで熱を保ち続ける動物たちからアイデアを叩き出した。N-38の特性を使えば薄くて軽く暖かい肌着が出来るはずだと考えた。会社でプレゼンするも厳しい声が上がった。会社のポリシーはスポーツ用品の品質を上げることだった。その中で1人の営業担当は「100万枚売ったろうやないか」と声をあげた。それが萬谷好正だった。こうして革命的な肌着開発が動き出した。
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URL: http://www.jac-cm.or.jp/
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