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「B29」 のテレビ露出情報

今回は軍都80年〜ものづくりと防衛産業〜をお届け。名古屋はもともと軍需工業都市になったはその都市は空襲の標的になり多くの犠牲者を出した。防衛産業が新たな選択肢となり始めている。日本銀行本店には戦時中の軍事産業がどのように拡大していったのか、極秘資料が保管されている。資料の一つには名古屋の地図があり、市販の地図に薄紙を重ねることで極秘の地図が浮かび上がり、赤字で書かれているのは当時の軍事工場。日銀名古屋支店が極秘とされていた軍事工場の位置を本店に報告するために作ったもの。軍事工場の一つの愛知時計電機は1989年に誕生した。大正時代に海軍向けの軍用機の製造を行った。太平洋戦争海戦の前に愛知時計は海軍の管理下におかれた。もともと名古屋を中心とする経済圏は、民間の機械工業や、繊維産業が盛んだったが当時軍事転換するために日銀などを通じた融資を行った。そのリストには愛知時計とその系列会社だけをみても1年間で少なくとも5回、4600万円が融資された。現在の価値にして200億円に相当するという。
愛知時計は名古屋市熱田区にある。毎年6月9日には敷地の1角で慰霊祭が行われているが、愛知時計を狙った熱田空襲で多くの犠牲者が出た。アメリカ軍は名古屋への空襲を開始。1945年に6月9日に熱田空襲が発生。愛知時計電機に爆弾265トンが投下されて2068人が死亡した。伊藤米子さんは3歳上の姉を亡くした。米子さんの姉の照子さんは14歳で亡くなった。照子さんは防空訓練で習った姿勢のまま、遺体で発見されたという。名古屋への空襲では、愛知時計以外にも複数の軍事工場が標的になった。中でも航空機のエンジンを製造する三菱発動機 大幸工場では合計7回爆撃をうけている。アメリカ軍が名古屋へ爆撃に使用した地図では、黒く塗られた部分が軍事関連施設。建物の配置までわかっていた。軍事工場の爆撃には焼夷弾ではなく破壊力の強い爆弾が使用された。熱田空襲の翌日では米子さんは姉の照子さんを探しにきて犠牲になった人の多くの遺体をみたという。空襲から80年、愛知時計電機は現在、水道メーターなどを製造している。空襲の犠牲者を悼む行事を毎年非公開で行っている。その近くにある名古屋国際会議場ではある展示会が開催。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年11月15日放送 4:00 - 4:45 TBS
TBS NEWS(ニュース)
山口・和木町の養専寺。旧岩国陸軍燃料廠と興亜石油の空襲で亡くなった人たちをしのぶ慰霊碑があり、毎年空襲があった5月10日には遺族らが参列して追悼法要が行われている。養専寺・元浄公昭住職の祖父・元浄正信さんは戦時中も欠かさず日々の出来事を日誌に記していた。日常が次第に戦争へと導かれ後戻りできない時代の空気となっていく様が伝わってくる。日誌には昭和20年5月10[…続きを読む]

2025年10月22日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおびJNN NEWS
終戦直後の1945年8月30日、物資を運んでいた米軍の爆撃機「B-29」が宮崎・高千穂町の親父山に墜落。20代~30代の米兵12人が死亡した。工藤寛さんは38年前に親父山で金属片を発見し、このことをきっかけにB-29の墜落について調査と慰霊を続けている。今年の慰霊登山には墜落した機体の副機長の親族であるシャノン・グリーンウッドさんも参加した。墜落現場には今も[…続きを読む]

2025年10月20日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’25堕ちたB29〜生存兵と救出者〜
1990年、ロータリークラブなどに招かれたマーチンさんは、妻とともに再び秋田の地を踏んだ。探検家の高橋さんは、男鹿の住民からかつて山の中で見つけた巨大な機体の残骸を探してほしいと依頼されたことがきっかけで、6年前からB29やマーチンさんについての調査を始めた。高橋さんは複数の機体の残骸を見つけ、アメリカの国立第二次世界大戦博物館によってB29の一部と特定され[…続きを読む]

2025年9月27日放送 20:00 - 20:50 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜袴田事件 前編
戦時中、浜名湖の辺に暮らしていた袴田ひで子さん。おとなしい末っ子の巌さんが可愛くて仕方なかった。戦争が終わり税務署で働き始めたひで子さんはおしゃれが好きだった。巌さんはボクシングでプロデビューを果たしたが体を壊し引退、地元の味噌会社で住み込みで働き始めた。
1966年6月30日、巌さんが働く味噌会社で専務の一家4人を何者かが殺害。現場に火を放ち逃走した。警[…続きを読む]

2025年8月28日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース戦後80年
愛知・豊川市では終戦間近の8月7日、海軍の兵器工場が爆撃され、働いていた2500人以上の人たちが犠牲になった。当時を知る人が少なくなる中、地域の戦争の記憶を絵本にして子どもたちに語り継ごうという取り組みが始まっている。本を作ったメンバーの1人、教育委員会で街の歴史などを担当する前川拓さんがイラストを担当。親しみを持ってもらえるような絵柄を心掛けた一方、色合い[…続きを読む]

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