円山応挙の「牡丹孔雀図」は伊藤若冲の「動植綵絵」を思わせる作品。応挙と若冲は同じ時期に京都で活躍していた。応挙は若冲の17歳年下。手紙などのやりとりの記録は残っていないが、共通の知り合いがいて「応挙が若冲を訪ねたが留守だった」という記録が残っている。右隻は円山応挙の「梅鯉図屏風」、左隻は伊藤若冲の「竹鶏図屏風」というふたりが最も得意とする題材での合作が見つかった。画風は全く違うが、お互いを引き立てている。応挙が先に描き、その後に若冲が描いたとみられている。注文者やどういう打ち合わせて描かれたかは、まだはっきりとわかっていない。応挙は人物画も得意としてきた。中国魏晋時代に7人の賢者が竹林で話し合うという伝統的なテーマの作品は、竹や岩の立体的な質感が臨場感を生む襖絵の傑作。応挙は人物を描く際、裸の肉体を描きその上に服を描いていた。
