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「M-1グランプリ2001」 のテレビ露出情報

ゲストのフットボールアワーが登場。後藤はフットボールアワーがコンビで揃って出演していることに驚かれることが多いという。また楽屋では一言も話さないと答えた。また今は喧嘩もないというが若い頃は喧嘩をしていたいうがネタのことでどんどん言い合いになると岩尾が泣いてしまうという。また仲が良くない時のネタ作りは作家に向かって話していると答えたが、後藤は岩尾はなにか引っかかった時にだけ反応してくるのでそれでようやく岩尾に顔が向けられるという。しかしその作家がやめてしまい今は2人だけでネタ作りなどをしていると答え、そのためにネタ作りのディスカッションの際は壁に向けるなどのお互いの絶妙な距離感があると説明した。またフットボールアワーは漫才のネタは台本には起こさないという。春日はそのフットボールアワーの発言にありえないと答えたが、後藤は言葉が決まっているほうがやりづらいと語る。また、フットボールアワーは2人でネタ作りをしているため、あらかじめ2人の頭に染み付いているという。ネタ尺についても相方にボケをしている中でいらないものが見えてくるというが、岩尾がどうしても後藤のツッコミの中でそれは入れたいと意見を尊重してくることがあるという。後藤は自分が考えたのになぜ岩尾がしがみついてくるのか理解できないと答えた。
またフットボールアワーは今漫才が終わったあと相方になにか言いたいことはあるか?について2人はないと答え未だにそうするのは嫌だと答えた。若林は漫才に台本がないコンビは実力者が多いと語ったが後藤は台本がないので振り返る事ができないという。そのために自分たちが過去に漫才をしている違法アップロードYouTubeが助かると答えた。かつてフットボールアワーはもともとやっていたコンビが解散しできたコンビだという。その当時は2人ともコントをしていたというが、後藤はそのコントの師匠としていたのはダウンタウンだったという。後藤と岩尾はそのことで意気投合し何時間もダウンタウンのごっつええ感じを熱く話し合っていたという。またM- 1について、第一回から出場しているフットボールアワーだがその時に松本人志に漫才をみてもらったという。しかしその時は低い点数をつけられてしまった。
第一回のM- 1について後藤はセットがまず暗かったという。厳かな雰囲気な上に当時の松本人志が人のネタで笑うなどありえないことだったと答えた。さらに第一回大会だったのでM- 1の予選に出ることは強制で、後藤はあまりの緊張でタバコを1カートン吸ってしまったと答えた。フットボールアワーはその時に松本人志につけられた点数は他の人が80点などという点数で55点をつけられたという。そのショックで芸人を引退しようとまで決意したと答えたが、その後ネタの作り方を根本的に見直し2002年にもう一度M- 1の舞台に立ったという。すると松本人志の点数が第一回の時よりもアップした上にネタに面白いと言ってくれたという。また他の審査員に去年は印象になかったがこんなに成長したのはすごいと言われたことは優勝した時よりも嬉しかったという。その後M- 1で優勝をするも、今のようにチャンピオンになると即日忙しくなると言った現象はなかったという。さらに東京にあったレギュラー番組も半年で終わってしまったと答えた。
2人はM- 1のあとも不遇の時代が続き、コンビ間にもなにか上手くいっていないという状態だけが続いていたという。また当時は多くの若手芸人がひな壇を囲んでの番組が多く、フットボールアワーもその中で必死に爪痕を残そうとしていたという。その中で後藤は当時同じようにひな壇で争っていた品川祐に関しては肩を入れてくるので大嫌いだったという。岩尾は前に出るタイプでもないのでただ収録が終わり何もできなかったと落ち込む日々が続いていたと答えたが、寝ることはできたために焦ることはなく同じ状態が続いていたという。しかしM- 1でのブラックマヨネーズの漫才に感銘を受け、もう一度M- 1の舞台に挑戦したという。しかし優勝はできず、かつて一緒にしのぎを削ってきた仲間が優勝するとその頃からM- 1がブレイクの足がかりになっていたという。さらにスポンサーのオートバックスでさえも当時のエンタの神様のブームに煽られ、自分たちの優勝年にはチャンピオンが暗黙の了解で出演するのに、そのCMにすらでられなかったと答えた。
後藤は当時いじられていたか?についてどうしてもそれが岩尾の方に流れていたために、じゃない方の典型だったという。岩尾ばかりにCMなどの話があり、当時はブサイクキャラで売れていたと答えた。しかしなぜか自分も同時多発的にイジられるようになったという。それは大阪の番組から始まったというがいつしかアメトーーク!でも有吉弘行にイジられるようになったが、その振る舞いに達者だねと言われたという。後藤は行きまっせという感じが鼻についていたと気付いたという。また後藤はオードリーに報告しなければいけないことに、姉から連絡が来てある1本の動画が添付されていたという。その動画はオードリーの番組で大分のロケの番組の内容だったがその意図がわからなかったという。しかし見ていくと漫才の38マイクを作っているというSONYの工場に行く流れになり、そのマイクを作っているのはこの女性だけと紹介されていた。その女性がフットボールアワーの後藤が好き答えていたことにものすごく嬉しかったという。後藤は番組内でこの38マイクがふるさと納税で購入できると知ってふるさと納税をはじめて利用したという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月11日放送 19:33 - 20:45 NHK総合
超・ニッポンのお笑い100年〜芸人たちの放送開拓史〜(超・ニッポンのお笑い100年〜芸人たちの放送開拓史〜)
「100年後も語り継がれる現役漫才師」について。友近さんは「ナイツ」を挙げ「毒舌なのに笑っちゃう」などと話した。せいやさんは令和6年度NHK新人お笑い大賞で優勝した「エバース」を挙げ「人間力が2人ともあるから細かい設定で山場を作れる」などと話した。

2025年6月17日放送 1:58 - 2:17 テレビ朝日
耳の穴かっぽじって聞け!はりけ~んず前田 THE SECOND 決勝日記
今回日記を綴ったのははりけ~んず前田。第1回M-1グランプリが始まるも芸歴制限で出場できず。M-1予選MCを担当し数々のファイナリストを見送ってきた。そんな前田が綴った「THE SECOND日記 決勝前日」を公開。前田は劇場とテレビスタジオでは笑い声の聞こえ方が違って決勝まで気持ちが乗らなかった。また体調不良が心配だったとし、流行り病に何日か前にかかって復帰[…続きを読む]

2025年6月15日放送 10:00 - 11:15 フジテレビ
かのサンド(かのサンド)
中川家・礼二さん行きつけの喫茶店さぼうるへ向かうことに。さぼうるはスペイン語の味という意味なのだといい、「クリームソーダ(ブルーハワイ)」は7色を楽しむことができる。壁は落書きが刻まれる様子が見られ、本当は禁止していたものの、70年の歴史の中で多くの常連客が落書きを書いてしまっているといい、番組もかのサンドステッカーを柱に貼り付けることに。狩野さんは2組がM[…続きを読む]

2025年6月1日放送 7:00 - 7:30 フジテレビ
ボクらの時代(ボクらの時代)
優勝後の変化について奥田さんは「良い意味で想像と違った。自分に向いていないと思っていた分野で活躍できた。可能性を狭めたらいけないと感じた」などと話した。周平魂さんは過去に1度だけ芸人を辞めたいと思ったといい、その時は岡本太郎の著書「自分の中に毒を持て」に救われたという。奥田さんは過去に周平魂さんに対し、尖りたい方向を1つにして外から見たら丸くなれなどとアドバ[…続きを読む]

2025年5月17日放送 13:30 - 14:30 フジテレビ
夜まで待てない!THE SECOND〜漫才トーナメント〜夜まで待てない!THE SECOND〜漫才トーナメント〜
第2試合はマシンガンズとはりけ~んずの師弟対決。マシンガンズは2023年に準優勝した。最終決戦に進出したもののネタがなく、急遽舞台裏でネタを作って決勝に臨んだことを後悔していた。今回はネタを作るために単独ライブをやり、十何年ぶりに新ネタも作った。ノックアウトステージ1回戦は見取り図に勝利。2回戦は祇園に勝利した。はりけ~んずは1990年に結成。仕事は前説が中[…続きを読む]

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