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「PONPONPON」 のテレビ露出情報

1970年代、多くのシンガー・ソングライターが誕生。日本の音楽シーンに新しい風を吹き込んだのが牧村憲一。その名を世に知らしめたのは、かぐや姫「神田川」。ディレクターとして関わり、等身大の声を描いたこの曲は多くの共感を呼びミリオンセラーを記録。さらに、当時無名だった山下達郎の才能にいち早く気づきソロデビューさせると、その数年後に竹内まりやもプロデュース。シティポップの先駆けとなり新たな音楽の形を作り上げた。
1980年代はJ-POP草創期。その時代を作ったのが佐久間正英。プロデュースした代表的なアーティストがロックバンドBOØWY。結成当初はまだ荒削りだった彼らの音楽を鋭く洗練されたサウンドへと昇華させ、日本のロックの音を決定づけた。後にJUDY AND MARYもプロデュース。「そばかす」はオリコン初登場1位を獲得。
日本のポップスを進化させた音楽プロデューサーの1人が角松敏生。プロデュースしたのが杏里。前作「CAT’ EYE」の大ヒットを受けわずか3ヶ月後にリリースされた「悲しみがとまらない」も大ヒットを記録。中山美穂の楽曲もプロデュース。「You’re My Only Shinin’Star」は第30回 日本レコード大賞金賞を受賞。
バブルが弾けた1990年代。篠原涼子、安室奈美恵、globeなど数々のスターを生み出した小室哲哉。80年代、自身もTM NETWORKとしてシンセサイザーを駆使した先鋭的なサウンドで一斉を風靡。その後、プロデュースしたアーティストが次々とブレイクを果たすと、小室哲哉が手掛けた楽曲TKサウンドが街を埋め尽くし、閉塞した90年代に希望の音楽を作り上げた。他にも、「いつまでも変わらぬ愛を」がCMソングに起用されオリコン1位を獲得した織田哲郎。作曲家として活躍し、ZARD「負けないで」を始め中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」などを作曲しミリオンヒット連発。オリコン年間ランキング作曲家部門で史上初の売り上げ1000万枚超えの新記録を樹立。織田哲郎プロデュースで彗星のごとく現れたのが相川七瀬。当時の若者の共感を集めた。J-POPが確立したこの時代、音楽プロデューサー黄金時代。女の子のリアルな気持ちを音楽に変えたプロデューサーは、モーニング娘。を生み出したアイドルプロデュースの革命児つんく♂。1992年位シャ乱Qのボーカルとしてデビュー。1994年発売「シングルベッド」がロングセラー大ヒット。1998年からモーニング娘。をプロデュース。等身大の女の子の気持ちを歌う大人気アイドルグループとなった。
音楽の配信サービスが始まった2000年代。その最前線にいたのが、Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅなどをプロデュースした中田ヤスタカ。唯一無二の世界観を持ったアーティスト像、可愛いと近未来を融合させたサウンドはJ-POPを世界へと押し出していった。AKB48をプロデュースした秋元康は、会いに行けるアイドルという新しい概念は、アイドルとファンの距離、音楽の楽しみ方までも変化させた。そして現代、自己表現が武器になりジャンルの壁がなくなりつつある令和の音楽シーンにおいてプロデューサーとしての存在感を強めているのが、自身が1億円を出資しボーイズグループ発掘オーディションを開催したSKY-HI。そこから、個性と実力を兼ね備えジャンルレスな音楽性で世界基準のパフォーマンスを追求するBE:FIRSTを輩出。その後もオーディションからMAZZELなど新しいグループを生み出し続けている。さらに自身の経験を活かしたオーディションを開催し話題となったちゃんみな。現代の音楽プロデューサーで忘れてはならないのが、X JAPANのYOSHIKI。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月26日放送 9:50 - 11:30 フジテレビ
ノンストップ!行きつけ教えます!特別編
加藤諒は仲良しのきゃりーぱみゅぱみゅのダンスを完コピ。設楽統が出す札の曲に合わせてダンスを披露した。設楽統が好きな「にんじゃりばんばんばん」を頻繁に挟みつつ、約2分間ノンストップで踊り続けた。

2024年7月19日放送 1:35 - 2:05 日本テレビ
SENSORS(SENSORS)
音楽に取り入れる新しいプラットフォームとして、FORTNITEときゃりーぱみゅぱみゅがコラボしたメタバースを紹介。アソビシステムの中川社長が、未来の戦略を語った。

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