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「POPEYE」 のテレビ露出情報

住みたい街の歴史を大調査、毎年住みたい街ランキングを発表しているSUUMOの池本編集長に聞いた。住みたい街ランキングは住宅情報という雑誌が1976年に誕生、その頃から「街」というテーマが企画にはあったということで1970年くらいからスタートしている可能性はあるということ。1980年代では都心の人気エリア、六本木や広尾、赤坂など後半からのバブル経済で音楽などのブームも含め華やかなおしゃれな街が人気があった。エル・ジャポンでは1987年住みたい街徹底研究の特集があり、代官山や神楽坂などの名前があった。当時代官山は穴場的な街としてセンスのある若者たちが新しいカルチェーを求め行っていた。庶民的で親しみやすい下町として神田エリアも人気、靖国通り沿いはスキー洋品店が並んでいて映画「私をスキーに連れてって」がありデートの中心となり神田・神保町など盛りあがっていた。
1990年代には住みたい街を「Hanako」などの雑誌が牽引、代表格が吉祥寺、下北沢、自由が丘だった。当時東京ウォーカーが住んでみたいタウンをランキング付けしたのが先駆けとされ、1位下北沢、2位吉祥寺、3位鎌倉だった。バブルが崩壊するとトレンドは郊外へと移り、「金曜日の妻たちへ」ドラマが大ブームとなりたまプラーザ周辺がおしゃれ郊外の印象がつき、中央線では国立、東横線では日吉が人気となった。大学があることもあり環境的に優れた街が人気、
2000年代は東京ウォーカー住みたい街ランキングを見ると人気の吉祥寺があがるなか豊洲などの新しいエリアも。都心回帰で都心側に戻ってきたという、2002年に都市再生特別措置法ができて規制緩和がされタワーマンションが乱立し豊洲、品川などの湾岸エリアのタワーマンションが人気となった。
2010年代にはSUUMO住みたい街ランキング関東版が登場、大宮や再開発で伸びた武蔵小杉が台頭してきた。郊外の中で駅まえのワンストップである程度すべてのものが揃う場所がコスパタイパが良いとされ、2010年JR横須賀線の駅が開業し合計6路線となり人気急上昇した。2010年代なかばから北千住や赤羽が穴場と注目、多様性が叫ばれ等身大に住むほうが良いとの価値観となった。テレビ「月曜から夜ふかし」などで取り上げ後押ししたということ。現在では8年連続で横浜が1位、時代ごとに人気エリアが変わっているという。ベイブリッジができたことから山下公園などが人気だったが2010年前後ではみなとみらいエリアが盛り上がり代表的となった。また横浜駅周辺が再開発され今ではそこからみなとみらいエリアが栄えているという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月10日放送 11:55 - 13:55 日本テレビ
ヒルナンデス!あさこ大久保のオトナ女子旅
大久保佳代子のエッセイ「パジャマあるよと言われても」を紹介。月1回連載していたもので、いとうあさこの登場率が高いという。大久保は、ヒルナンデス!の温泉ロケで、水着を着た時に、ビキニを着たいとうあさこに対し、女性としてのマウントをとって面白フォルムのまま行かせてしまったエピソードも載っているなどと話した。

2025年6月9日放送 13:55 - 15:49 TBS
ゴゴスマ(エンディング)
大久保佳代子のエッセイ集『パジャマあるよと言われても』を紹介。POPEYEとTarzanで足掛け12年以上にわたって連載してきた120本以上のエッセイをまとめた一冊。

2025年5月17日放送 23:00 - 23:30 日本テレビ
アナザースカイ光石研/タイ
続いて光石研が、バンコクの「HORSE UNIT」という雑貨店を訪れた。そこは、ヴィンテージの古着や家具などの宝庫。光石研がその店内を巡り、食器、衣類、1950年代のヨーロッパの人形などを見て感想を語った。光石研は子供の頃から、海外の服や雑貨が大好きだった。光石研が中学生ぐらいの頃に、雑誌「POPEYE」が創刊されて、光石研は都会や海外に憧れていた。当時の光[…続きを読む]

2025年3月1日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
堀内誠一は1932年に図案家の父のもとに生まれた。様々なデザインに囲まれて育ち、絵を描くのが大好きな子どもだった。地図を描くことも得意で小学生の頃に太平洋戦争の戦況を伝えるためにソロモン諸島などの複雑な地形を黒板に描くのが彼の仕事だった。大人になってもたくさんの手書き地図を雑誌に掲載した。展覧会を企画したキュレーターの林さんは、一回いった街は覚えていたという[…続きを読む]

2025年2月21日放送 0:00 - 0:30 テレビ東京
じっくり聞いタロウ 〜スター近況(秘)報告〜夜の昭和の常識は…令和の非常識!?
令和のおしゃれ男子が愛読するファッション誌のPOPEYE。一昔前は男女のか駆け引きの記事が多く、恋愛の教科書として大流行。昭和男子を熱狂させた雑誌は1979年創刊のホットドッグ・プレス。その中には数多くのモテるための教えを記載し、デート前に昭和男子が熟読していた。

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