アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第3位は、友人の嘘がきっかけで大ブレイクを果たしたスゴい日本人。とある超大物アーティストは騙されていった軽井沢で同じ夢を持った青年と出会った。彼の名前は大木誠さん。大木さんと意気投合し、バイトが終わった後、毎晩一緒に曲作りをした。そして、あるバラード曲が完成。東京に戻ってからも創作活動を共にしていた。しかし、翌年の春、大木さんは音楽の道を諦めて就職。作ったバラード曲に大きな手応えを感じていたとある超大物アーティストは、当時、大人気だったオーディション番組に挑んだ。決勝大会までコマを進めるも落選。その後は音楽業界の客が多い喫茶店でバイトを始め、音楽関係者を見つけてはデモテープを渡して地道なプロモーションを続けた。時代はバンド全盛期。色良い反応はなかなかもらえなかった。そんなある日、大手レコード会社の担当者と面接するチャンスを得た。担当者は軽井沢で大木さんと作ったあのバラード曲を気に入った様子だった。こうして目指すべき音楽の方向性が決定。しかし、デビューが果たせないままタイムリミットは迫っていた。そして、24歳の夏、とある超大物アーティストはラストチャンスともいうべき音楽コンテストに出場。歌ったのは、あのバラード曲。そして見事優勝。プロデビューの切符を手に入れた。とある超大物アーティストとは徳永英明さん。バラード曲は「レイニーブルー」。この曲でデビューすることが決まった時、徳永さんは大木さんに連絡し、一緒にデビューしようと誘っていた。しかし、大木さんは「音楽を職業にすると楽しめなくなりそうで怖い」と誘いを断っていた。ソロ歌手としてデビューすることになった徳永さんだが、「レイニーブルー」の盤面には大木さんの名前も刻まれている。