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アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第5位は、7色の声をもつ超絶プロフェッショナル。広島でボイストレーナーとして働く三上雅則さんはカラオケのガイドボーカルの仕事もしている。ガイドボーカルとは曲の歌い方をガイドしてくれるお手本機能のこと。三上さんが歌声を再現できるアーティストは超広範囲に及ぶ。これまで担当した曲は300曲以上。さまざまなアーティストで完全無欠の再現力を披露している。
アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第4位は、嘘!? 信じられないトリックで世界を魅了するスゴい日本人。
オープニング映像。
アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第4位は、嘘!? 信じられないトリックで世界を魅了するスゴい日本人。深掘隆介はトリック金魚アートのデザイナー。海外でも個展を開催。世界でも高い評価を受け、300万円の値がつく作品もあるという。
アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第3位は、友人の嘘がきっかけで大ブレイクを果たしたスゴい日本人。とある超大物アーティストは父親との約束で25歳をタイムリミットとして音楽活動を開始。19歳の春に上京。音楽仲間からレコードデビューの朗報を受けて軽井沢に向かうとバイトの手伝いをさせられた。友人の話は全て嘘だったのである。
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- 軽井沢(長野)
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アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第3位は、友人の嘘がきっかけで大ブレイクを果たしたスゴい日本人。とある超大物アーティストは騙されていった軽井沢で同じ夢を持った青年と出会った。彼の名前は大木誠さん。大木さんと意気投合し、バイトが終わった後、毎晩一緒に曲作りをした。そして、あるバラード曲が完成。東京に戻ってからも創作活動を共にしていた。しかし、翌年の春、大木さんは音楽の道を諦めて就職。作ったバラード曲に大きな手応えを感じていたとある超大物アーティストは、当時、大人気だったオーディション番組に挑んだ。決勝大会までコマを進めるも落選。その後は音楽業界の客が多い喫茶店でバイトを始め、音楽関係者を見つけてはデモテープを渡して地道なプロモーションを続けた。時代はバンド全盛期。色良い反応はなかなかもらえなかった。そんなある日、大手レコード会社の担当者と面接するチャンスを得た。担当者は軽井沢で大木さんと作ったあのバラード曲を気に入った様子だった。こうして目指すべき音楽の方向性が決定。しかし、デビューが果たせないままタイムリミットは迫っていた。そして、24歳の夏、とある超大物アーティストはラストチャンスともいうべき音楽コンテストに出場。歌ったのは、あのバラード曲。そして見事優勝。プロデビューの切符を手に入れた。とある超大物アーティストとは徳永英明さん。バラード曲は「レイニーブルー」。この曲でデビューすることが決まった時、徳永さんは大木さんに連絡し、一緒にデビューしようと誘っていた。しかし、大木さんは「音楽を職業にすると楽しめなくなりそうで怖い」と誘いを断っていた。ソロ歌手としてデビューすることになった徳永さんだが、「レイニーブルー」の盤面には大木さんの名前も刻まれている。
アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第1位は、「恩送り」に込められた奇跡の連鎖 人生を救われた男。群馬県内で食品会社を経営する南都隆道さん。その会社の商品は全国の百貨店や有名スーパーに並んでいる。しかし、南都さんが父から会社を引き継いだ当初、廃業寸前の零細企業だった。南都さんは、1992年、父から受け継いだ伊藤納豆店から下仁田納豆に名称を変更。引き売りで販売していた形をやめ、スーパーや小売店に置いてもらおうと考えた。しかし、置いてくれる所はなかなか見つからなかった。約1年後、埼玉県内のスーパーを訪ねた時だった。安価な豆腐の横に高価な豆腐が並んでいることに気づいた。その豆腐はスーパーの人気商品とのこと。南都さんは実際にその製造元を訪問。突然の訪問に応対してくれたのは、もぎ豆腐店の茂木稔さんだった。
アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第1位は、「恩送り」に込められた奇跡の連鎖 人生を救われた男。もぎ豆腐店の茂木稔さんの元を訪問した南都隆道さん。自身の商品に対して「もっと値段を安くするしかない」と話したところ、茂木さんに怒られ追い返されてしまった。茂木さんには自分が売りたいものにそれに見合うだけの値段を自分がつけて売るものという信念があった。南都は自分の考えを改め、なぜ高価な豆腐でも売れるのか教えてもらおうとした。大豆の質を大切にしていた茂木さんは、自身も使っている大豆を南都さんに分け与えて、南都さんに自分で納得がいく納豆を作るよう指示した。南都さんは試作を重ねた後、茂木さんの元へ持っていった。茂木さんは南都さんが作った納豆を全て買い取って仕入れ値のまま店頭に並べた。その後も毎日、茂木さんの元へ納豆を納品した。茂木さんが南都さんにここまでする理由は自身の経験からだった。
アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第1位は、「恩送り」に込められた奇跡の連鎖 人生を救われた男。もぎ豆腐店の三之助豆腐も人に助けられていた過去があった。南都隆道さんが茂木稔さんの元を訪れたのは豆腐店が軌道に乗った2年後のことだった。茂木さんは最初に下仁田納豆を買い取って以来、利益を上乗せすることなく一貫して同じ値段で販売し続けた。しかし、そんな日々が1年続いたある日のこと。茂木さんから突然の決別宣言をされた。南部さんは自身で豆を仕入れて自分で売らなければならなくなった。南部さんはダメ元で東京の有名百貨店を訪れた。
アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第1位は、「恩送り」に込められた奇跡の連鎖 人生を救われた男。ダメ元で東京の有名百貨店を訪れた南都さんだったが、担当者は味見をすることなく商品の買い取りを決めた。さらに、他の百貨店に営業で訪ねてみても同じだった。実は、もぎ豆腐店の茂木稔さんが三之助豆腐を納品するたびに下仁田納豆のサンプルを置いていってくれていたという。こうして多くの百貨店に置いてもらえるようになった下仁田納豆。今では全国190社と取引するまでに成長した。その後も茂木さんと南都さんの付き合いは続いたが、今から11年前、茂木さんは癌のためこの世を去った。南都さんは茂木さんからしてもらったことを次世代に繋げていきたいと話した。
アンビリアカデミー賞 スゴい日本人部門 第5位に輝いた三上雅則さんの七色ボイスをあらためて紹介した。
エンディング映像。
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