2005年1月に急性骨髄性白血病を宣告された本田美奈子.は、トレードマークでもあったロングヘアをカットし病魔と戦った。抗がん剤の副作用で次第に髪は抜け、40キロあった体重も30キロに落ち連日39度を超える熱が続いた。闘病中でも本田は歌うことを諦めず、母親の携帯にはシャワーを浴びながら歌う映像が残されている。臍帯血移植に成功し病状が改善した本田は一時退院することとなり、看護師らに感謝の歌を届けた。親交があった作曲家・井上鑑が音源を制作し、賛同した福山雅治らのビデオレターが届けられた。森口博子は本田から85年組の同窓会を提案されたエピソードを振り返る。本田は8月に白血病が再発すると再び歌える日を信じてドナーが現れるのを待ち続けた。しかし11月に38歳の若さでこの世を去った。告別式にはおよそ3700人が参列。本田の死から1年後、ドナー登録を呼びかけるチャリティーコンサートが仲間たちの手で命日に開催された。2024年4月には本田の歌が小学5年生の教科書に載ることも決まっている。