報道特集 (特集)
大阪・関西万博ではアイヌ民族による舞踊が披露された。舞踊のテーマはウレシパモシリ、共に生きる大地を意味する。舞踊総監督をつとめた秋辺デボさんは、戦争をしている場合ではないといえるのはこの言葉だと話す。しかし、アイヌの歴史は戦争と差別と切り離せない。明治政府はアイヌの土地を取り上げ、サケ漁やシカ猟、アイヌ語を禁止した。そして旧土人保護法に基づいて農耕に適さない土地を渡し、保護の名のもとに同化政策を推し進めた。濱田清孝さんは、昔父から体毛を剃るよう指示された。清孝さんは当時の父は「毛が生えている=アイヌ」というのが嫌だったのではと話す。父の寛さんは学校でも差別を受けていた。真珠湾攻撃のときは、アイヌは日本軍の兵士として戦場へ駆り出された。寛さんは20歳で日本兵として旧満州へむかった。寛さんは戦時中の出来事について、何千人もいる中で前に出され、アイヌを吊し上げ、いじめられていたと明かした。
アイヌ兵が差別を受けた証言はほかにもあった。1994年に報道されたニュース映像。アイヌ人の中本さんは当時上官から激しい暴力をうけた。特攻部隊に配属されたとき、死ななければならないような危険な所はアイヌ兵士で補って和人の兵士は生残しておきたい魂胆があったのではと話した。アイヌがルーツの野村喜代一さんは、見た目と体格を理由にソ連の最前線に派遣。アイヌ以外の少数民族が日本軍に都合よく利用されたケースもある。北方少数民族のウィルタは物理的理由や身体能力の高さから日本軍にスパイ活動に従事させられた。元アイヌ兵の濱田寛さんは得意な馬の世話で二等兵から軍曹に昇進した。マーク・ウィンチェスター教授は、北海道の植民地化によって被ってきた不利な部分を、徴兵されることによって平等な立ち位置に立てる状況だったのではとはなす。沖縄県真栄平には南北ノ塔と刻まれた墓があった。