京都・西本願寺×松嶋尚美

2024年5月18日放送 22:09 - 22:17 テレビ東京
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本願寺は1272年に親鸞聖人を祀る廟堂を京都の五条の大谷に建てたのが由来。その後比叡山の衆徒や織田信長と敵対して各地へ移転を繰り返した。1591年に豊臣秀吉の庇護のもと、現在の場所に壮大な伽藍が建てられた。西本願寺は公家の子に生まれた宗祖親鸞以来、代々の門主が公家と深くつながってきた寺。そのために身分の高い人物をもてなす迎賓館の設えが作られ守られてきた。境内の南東の門には塀で囲まれた迎賓館が佇む。普段は非公開の国名勝庭園の滴翠園の向こうには国宝の飛雲閣が。江戸時代始めに建てられ金閣や銀閣と並ぶ京都三名閣の一つ。鶴岡さんは本願寺はたくさんの人がやってくるが、中でも高貴な人々を招いてくつろいでもらおうと作られた場所だと答えた。飛雲閣はこけら葺き屋根の三層の楼閣建築。特徴的なのは変わった屋根の作りで一層の屋根事態にはいわゆる入母屋屋根。しかし正面右側には入母屋の破風、左側には唐破風がついている。二層は寄棟という屋根の三方の軒に唐破風がつき、三層は寄棟屋根になっている。披雲閣が建てられた当時の入口は船着き場。建物には船で移動していた。対岸の船着き場に玄関がある。最初の通されるのは八景の間で、ふすまと壁に中国の八ヶ所の名所の瀟湘八景が描かれている。
八景の間に続く広間は招賢殿。高貴な客人を迎えるための上段の間は備えられている。背景には大きさの異なる明かり障子が、本来上段の背景には障壁画が描かれるものだが明かりが入る仕組みになっている。飛雲閣の外に出ると西へ伸びる渡り廊下が。その先の黄鶴台は当時最高級のもてなしの設えだった。大きな窯の横に寝所のような小部屋が。江戸時代初期まで内風呂は大変めずらしいもので、客人はここで汗を流しリフレッシュした。


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