サタデーステーション 阪神・淡路大震災から30年 医療の教訓
30年前、6434人の命を奪った阪神淡路大震災。神戸市だけでなく、淡路島でも最大震度7を観測。1200人以上がけがをするなど大きな被害が出た。島で唯一の救命救急病院だった兵庫県立淡路病院には多くのけが人が運ばれた。撮影したのは普段から学会用に手術の様子などを記録していた栗栖茂医師。当時3年目の水谷和郎医師は当直明けだった。当直の医師は3人。地震後救急には他の科の医師や看護師も駆けつけた。至る所で心肺蘇生が行われ、受け入れ態勢は逼迫。当時兵庫県内の多くの病院も同じ状況だった。懐中電灯のわずかな光を頼りに治療が行われるなどまるで野戦病院に。一部では断水や必要なものが足りず適切な治療ができなくなるなど医療現場の限界も浮き彫りになった。非常電源によりライフラインは確保された県立淡路病院。