- 出演者
- 有馬嘉男 森花子
2000年7月、阪神・淡路大震災復興のシンボルとして中国からパンダが預けられた。だがパンダが繰り返し命の危機に直面していたことは知られていない。これはパンダを守ろうと24年にわたり奮闘したものたちの知られざる記録である。
オープニング映像。
有馬嘉男と森花子が神戸市立王子動物園にやって来た。希望の星として愛されてきたのがパンダのタンタンだった。タンタンは阪神・淡路大震災のあとにやってきて神戸市民を励まし勇気づけてきた。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生し神戸の街に壊滅的な被害をもたらした。王子動物園には遺体安置所が設けられ悲しみに暮れる遺族が訪れた。飼育員の兼光秀泰はその光景がいまも脳裏から離れないという。震災から5年後の2000年7月16日、神戸の人たちを励ますため中国から2頭のパンダがやってきた。2頭の世話は兼光秀泰ともう1人の飼育員に託された。2人ともパンダの飼育経験がなかった。パンダは中国からの借り物、ミスがあれば国際問題にもなりかねない。7月28日、一般公開が始まり、パンダを見ようと大勢の市民がやって来た。2頭の名前は市民からの公募でコウコウとタンタンに決まった。長年、精神科で看護師をしている四方叔子。震災後、心の傷が癒えない多くの被災者を間近で見ていた。震災前は証券マンだった倉本洋。地震で自宅を失ったショックで仕事を続けられなくなった。偶然訪れた王子動物園でタンタンに出会った。2頭のパンダは神戸市民の希望の星となった。一方で兼光たちには大きなプレッシャーがのしかかっていた。タンタンとコウコウの赤ちゃんを誕生させる。中国との約束でパンダの繁殖にも取り組むことにもなっていた。8年経っても赤ちゃんは生まれない、兼光は研究を行うため飼育担当を外れた。代わりに飼育を託されたのがやる気に満ちた梅元良次だった。2008年8月26日、赤ちゃんパンダが誕生した。しかし4日目、赤ちゃんは息を引き取った。2年後、オスのコウコウが急死した。
有馬嘉男らはパンダ舎の中を見学させてもらった。梅元良次は「あの子は本当に皆を笑顔にしてくれる子だったと思う。赤ちゃんパンダが亡くなったときは言葉にできない。」などと話した。
動物園に1頭だけ残されたタンタン。夏が近づくと子どもを産んだつもりになって食べ物を抱いちゃう、偽育児と呼ばれる行動を取るようになってしまった。偽育児の間、極端に食べる量が減るため免疫力が落ちてしまう。しかもタンタンは季節や体調で竹の好みがコロコロ変わるグルメパンダ。気に入らないと手を付けようともしない。梅元の愛k田としてタンタンの担当に加わった吉田憲一。園内に珍しい竹を何種類も植え、タンタンの好みを分析した。吉田は長年、死の職員として造園をしてきた。その経験と専門知識が強みとなった。吉田が選んだ竹は、不思議と食べるようになった。これがきっかけでタンタンは食欲を取り戻していった。赤ちゃんとコウコウを失った梅元は人間と同じレベルの健康診断をやるという方針を打ち立てた。梅元は論文や専門書を調べ尽くし、ハズバンダリートレーニングに辿り着いた。ハズバンダリートレーニングは動物に協力してもらいながら、医療行為を行うための訓練。りんごをご褒美に1つずつ必要な動作を覚え込ませる。強制的に検査や治療をしないためタンタンの負担を減らすことができる。10年の訓練の末、採血やレントゲンなど10を超える検査や治療ができるようになった。梅元たちの努力が実り、パンダの高齢期とされる20歳を超えた。しかし25歳を過ぎた頃、タンタンの心臓に異常が見つかった。この緊急事態に医療チームが結成された。獣医師のリーダーは菅野拓。菅野は中国の専門家に連絡したが「心臓疾患は例外が少なく治療法は確率されていない」と返された。タンタンの心臓は予想を上回る速さで悪化、ついにお腹に水がたまり始めた。
パンダが心臓疾患になったことについて獣医師の菅野拓は「猛獣って診察が難しくて、中国でも死んだあとに解剖して心臓でしたっていうのが分かる。生前の早い段階で心臓病って気づくのは難しくて、ハズバンダリートレーニングに取り組んできてくれてたおかげでなんとか治療にこぎつけた」などと話した。
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2021年7月、お腹が張っていることが分かるほど腹水は溜まっていた。菅野は中国の専門家に助言を求めるも「腹水を抜くなど大きな施術は全身麻酔をしないと危険でできない、タンタンにはリスクが高い」と言われた。菅野は全身麻酔無しで腹水を抜く、タンタンとの絆に望みをかけた。ハズバンダリートレーニングを治療の切り札にした。しかしこの方法は失敗。体調管理に専念するため観覧を中止。タンタンに会いたい人のために、梅元はSNSの配信に力を入れた。腹水が20kgもたまり何も食べることができなくなった。梅元はパンダの赤ちゃん用のミルクを試してみるとタンタンはミルクを飲み干した。これならりんごのハズバンダリートレーニングに使えると一部の望みをかけ、腹水を抜く施術に挑むことを決めた。局所麻酔を打ちタンタンがミルクに夢中になってる間に腹水の多くを抜いた。全身麻酔なしでの成功は中国の専門家をも驚かせた。その後、大好きなたけのこが食べれるほど回復。しかし負担をかけないため観覧中止は続けられた。それでも動物園に来てくれる人になにかお礼をしたいと、吉田憲一の発案でパンダ舎の屋上にひまわりを植えた。ひまわりはタンタンの分を肥料として使っている。タンタンはその後、28歳になるまで王子動物園で生きた。人間で言うと100歳近く。最後の日まで梅元らに見守られ旅立っていった。
タンタンの晩年について梅元良次は「大きい病気のわりにはすごく穏やかに暮らせたと思う。」などと話した。菅野拓は「勇気をもらうとか、人々の心に何かを訴えかけて行動を変えていく。そういう力が動物にはある」などと話した。
2024年4月、タンタンが息を引き取るとパンダ舎には献花台が設けられた。20万近い人が訪れ多くがタンタンに感謝を伝えた。その数ヶ月後、SNSにはタンタンのひまわりが溢れた。梅元たちから種を受け取った人が大輪の花を咲かせた。
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エンディング映像。
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