卑弥呼×狗奴国 古墳が明かす争いの行方

2024年3月20日放送 0:31 - 0:42 NHK総合
NHKスペシャル 古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る

「親魏倭王」の称号を得た卑弥呼だが、狗奴国との戦争を終わらせることはできなかった。邪馬台国と狗奴国の戦いの行方は未だに明らかになっていないが、その結果を解明する手掛かりとなるのが邪馬台国のシンボルとされている前方後円墳の分布だ。AIを活用した最新の古墳探査を実施した結果、それまで狗奴国のシンボルである前方後方墳が多いとされてきた東海・東北地方で複数の前方後円墳が発見された。こうした前方後円墳は卑弥呼の時代が終わって以降に東海・東北地方に広がっており、この事実からは前方後円墳をシンボルとする勢力が東日本へと版図を拡大していったことが伺える。
4世紀を機に逆転していった両者の関係を解き明かす手掛かりとなるのが箸墓古墳に秘められている。堅牢かつ巨大な箸墓古墳はそれまでの日本にはみられなかった最新鋭の土木技術で構築されたものと考えられており、その技術をもたらしたのは大陸からの渡来人であったと考えられている。彼らがもたらした複数の土と粘土を積み重ねる「盛土」は雨や衝撃に対して非常に高い耐性を持っており、この優れた土木技術は気候変動の激しい当時ににあって大きなアドバンテージになったであろうことは予想に難くない。こうして倭国の勢力図が書き換わっていく中、卑弥呼は3世紀半ばに没する。彼女の没後、代わって台頭してきたのが「ヤマト王権」という勢力。このヤマト王権の有力者は大仙陵古墳に代表される前方後円墳に葬られているが、これは卑弥呼の墓であり邪馬台国のシンボルとされるものと同じだ。そこから浮上している仮説の一つには「卑弥呼はヤマト王権の最初の王であった」というものもあるが、いずれにせよ真相は古代の闇の中に眠っている。


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