耳をすませば 立ちはだかる壁と格闘して〜陳建一・奈良岡朋子〜
俳優の奈良岡朋子さんのリアリズムに徹した演技力は高い評価を受けた。奈良岡さんは昭和4年、東京生まれ。洋画家の父の元で育った。やがて戦争が激しくなり、15歳の時に東京大空襲に見舞われた。戦後は画家を目指して進学。舞台美術に興味を持ち、演劇部に入った。劇団民藝の研究生の試験を受けたところ合格した。ほどなくして奈良岡さんは主人公の恋人役に抜擢された。奈良岡さんは父に俳優の道へ進むことを告げると、父から「俺の目の黒いうちは一切絵を描いてはならん」と言われ、覚悟を決めて芝居に取り組むも思うような演技が出来ない日々が続いた。次第に追い詰められていった奈良岡さんだったが、自分の中で最後だと決めて臨んだ舞台で良い評価をもらった。その後、奈良岡さんの演技は高く評価され、映画やテレビドラマにも引っ張りだことなった。
奈良岡さんは、映画やテレビで活躍しながらも仕事の中心はあくまで舞台で、1年の内8か月旅公演に出かける生活を長年続け、ドラマなどのナレーションでも活躍した。晩年、ライフワークとして取り組んだのが、黒い雨の朗読劇だった。演技では後輩たちへのアドバイスを積極的に行った。