ポツンと一軒家 大分県のポツンと一軒家
大分県のポツンと一軒家を訪ね、主の光子さんに話を聞いた。田舎暮らしがしたい利通さんの希望で東京から麓の集落に移住し、20年前に山の上に移った。麓の集落ではプレハブに住んでおり、段ボールで間仕切りをしていた。娘は高校までプレハブで生活した。光子さんは奥尻島出身で、実家は漁師だった。夏はスルメイカが大量に獲れるため、子どもたちも早朝から手伝わされたという。1993年の北海道南西沖地震で奥尻島は津波に襲われ、光子さんの家も流された。島には高校がなく、中学卒業後は上京した。一番近い高校は北海道・江差だったが、光子さんは5人きょうだいで家計的に下宿できなかったため、東京にいる叔母宅に寄せてもらった。東京までは10時間以上蒸気機関車に乗った。石炭の煤で汚れるため、上野駅には専用の洗面台があったという。光子さんはタダで食べさせてもらうわけにはいかないと、夜間学校に通いながら日中は化粧品会社で仕事をしていた。アラビアの物語が好きだったため、高校卒業後はアラビア語の学校に通った。中東調査会に入職し、利通さんに出会った。長女が大学に入って家を出たタイミングで集落から山の上に移った。利通さんの友達から資材が提供され、建築素人の仲間と建てた。山菜が採れる3月とキノコが採れる9月には長女が帰ってくるという。山椒の花の佃煮や山椒の若葉と昆布を醤油で煮て細かく刻んだ木の芽煮を振る舞ってもらった。滋養強壮のために梅酒やドクダミ花酒なども作っている。
