NHKニュース おはよう日本 (特集)
終戦から79年。戦争当時には不謹慎などとして落語家らが自主規制した演目があった。禁演落語。この禁演落語を現代に語り継ぐ落語家たちがいる。どんな思いを込めて演じているのだろうか。2003年から毎年8月に開かれている禁演落語の会。禁演落語の一つ「蛙茶番」。風呂で自慢のふんどしをしめることを忘れ、そのまま舞台にまで出て格好をつけてしまう男の話。太平洋戦争が始まるころこういった不謹慎な話、遊郭や色恋の話などの演目を落語家たちは自主規制した。会の発足当初から参加する三遊亭遊三さん。高座では戦争についても語る。86歳になる遊三さん。戦争真っただ中で幼少期を過ごした。戦争が終わり、浅草で喜劇映画を見たときに初めて腹を抱えて笑うことができたという遊三さん。平和だからこそ笑いがある。そのときの経験が落語の世界に入るきっかけになった。
遊三さんの背中を見て禁演落語を語り継ごうとする若手がいる。三遊亭吉馬さん。4年前、声をかけられてなんとなく禁演落語の会に参加し始めたという吉馬さん。禁演落語を演じるために本やインターネットなどで戦争のことを調べていくうち自主規制せざるをえなかった先輩の落語家たちに思いを巡らせるようになった。そんな吉馬さんが、毎年欠かさず足を運ぶ場所がある。それは東京台東区の本法寺にある「はなし塚」。戦時中、取締りが強化され、大衆の娯楽に関しての検閲もますます厳しくなっていった。当時の落語家たちは国の規制が入る前にみずから禁演落語として53演目を選定。不謹慎なテーマなどの演目を封印し、はなし塚に納めることで落語を演じ続けることができるようにした。迎えたことしの禁演落語の会。最初は吉馬さん。憧れの遊三さんの前で新たに覚えた演目を披露する。吉馬さんが演じるのは「後生うなぎ」。店先のうなぎがかわいそうだからと買い取っては川へ流すことがよいことだと信じて疑わない男が暴走していく話。この日、トリを務める遊三さんの演目はあの「蛙茶番」。禁演落語が解禁されたのは空襲で壊滅状態にあった寄席が次々と復活し戦争に行っていた落語家たちも戻ってきた昭和21年で今ではどこの寄席でも聞くことができる。その笑いが制限されるような世の中に再びならないようにしていかないといけないということを改めて感じる。