国際報道 (ニュース)
30年前の阪神淡路大震災で亡くなった中国人の女性・衛紅さん。日本と中国の架け橋になりたいと願っていた彼女の思い、そしてそれを受け継ごうとする人達を取材。衛紅さんの母・陳美琳さん。衛紅さんは中学生から学んだ日本語を生かし上海市の日本との交流事業を行う部署で働いていた。日本でビジネスの知識を高めたいと大阪大学へ留学。通訳などをしながら兵庫県西宮市で暮らし始めた。震災の数日前には実家に連絡し父親の誕生日である1月19日までには帰省すると話していた。しかし1995年1月17日、震災で住んでいた家が倒壊し亡くなった。28歳だった。かつて衛紅さんの同僚だった荒木田百合さんは“日中のかけ橋になりたい”という思いを強く感じていた。震災後家族は日本から贈られた弔慰金をすべて衛紅さんの母校に寄付。「衛紅奨励基金」として国際的な活躍を目指す生徒たちの教育支援に充てられてきた。