- 出演者
- 美輪明宏 宮崎哲弥 中根舞美 村上信五(SUPER EIGHT) 丸山隆平(SUPER EIGHT) 安田章大(SUPER EIGHT) シュウペイ(ぺこぱ) 岡田結実 松陰寺太勇(ぺこぱ) ファーストサマーウイカ 成田悠輔
美輪明宏ら出演者によるオープニングトーク。美輪明宏は「力道山と一緒に映画撮ってね、力道山の映画に私が殺し屋の役で出てて、力道山、赤坂に自分でクラブ持っててね。逞しいじゃない。ドラムなんか叩きそうじゃない」「ドラムがうまいのよ」などと話した。
オープニング映像。
このコーナーは、経済問題を議論し、日本の未来を良くしようと試みる企画。
熊本に世界的な半導体メーカーが進出したことについて成田悠輔が解説。エヌビディアの株価が今年初め7000円以下だったが現在は14万円以上に高騰。世界的に半導体ブームが起きていて、人口約4万人の熊本・菊陽町に台湾の世界的な半導体メーカーが進出。半導体は導体と絶縁体の中間の性質を持つシリコンなどの物質で、電気の流れをコントロールし、コンピュータの計算や通信などの制御を行う。かつて半導体において、日本は世界の半数以上のシェアを占めていたが、革新的な技術が生まれず、人件費などが安かった海外に工場を作ったことで技術が流出し、2021年のシェアは僅か9%となった。熊本・菊陽町に世界的な半導体メーカーが進出することで、多くの工場関係者や関連企業の従業員が集まることが予想され、地価が急騰している。
近年、円安となって安い日本となったことで、外国人が日本に投資したり、日本の物を買ったりしやすくなっていて、インバウンド消費は増加傾向にある。2023年の訪日客数はコロナ禍前の8割程度だが、旅行消費額は約5兆3000億円と過去最高となった。アイスランドは2008年に財政破綻の瀬戸際に追い込まれ、アイスランドの通貨の価値が3分の1に下落。そこから観光産業に舵を切ると観光客が押し寄せ、観光大国へ急成長した。また、一昔前は、マーク・ザッカーバーグが学生時代にFacebookを作ったように初期投資があまりかからずに成長して大企業になるケースもあった。しかし今後は、とてつもない投資をしないと経済競争に勝てない時代になる可能性がある。
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- フェイスブックマーク・ザッカーバーグ
ソフトバンクグループはArmを買収。当時、孫正義は良い買い物が出来た趣旨の発言をした。その後、半導体は一大産業となり、ソフトバンクグループの時価総額は約12兆円となった。また、ラピダスは国内の主要企業8社の出資により設立された半導体製造企業で、メイドインジャパンの高度な技術の詰まった半導体開発の期待が高まっている。3300億円の補助を決定した当時の経済産業大臣は西村康稔だったが、政治資金の裏金問題で約100万円のキックバックを受けていた疑いが浮上し、大臣を辞任。こんな状況では政治主導の技術開発が出来ない可能性がある。
「意表を突く◯◯編」として、「タイで撮影された、瞑想中の男の子が笑いをこらえ、周りもつられて笑い出した映像」を紹介した。
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- タイ
「2024年 最新映像」として、「中国で撮影された、突然炎に包まれた女性が現れた映像」などを紹介した。
昭和の頃にケーキにドレンチェリーがのっていた。ドレンチェリーはさくらんぼを砂糖漬けにしたもの。デコレーションが乏しい昭和期、菓子パンやクリームソーダなどにのせられ重宝されていた。また、アラザンは砂糖などを銀箔でコーティングしたもの。
昭和の頃、日本にゼリーを広めるキッカケとなる、ゼリエースなどの様々なゼリーの素が発売されていた。フレーバーつきのゼラチンをお湯で溶かしてゼリーカップに入れて冷蔵庫で冷して作っていた。昭和期にはゼリーが雑誌で特集されていた。
ファーストサマーウイカら出演者によるスタジオトーク。ファーストサマーウイカは「(大河ドラマ出演の話がきた時を振り返って)ありえへん事が起こったなと思いましたね」などと話した。
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- 大河ドラマ 光る君へ
昭和の頃、オムレツには炒めたひき肉や玉ねぎなどが入っていた。当時は料理のバリエーションが少なく、ステーキやハンバーグが高嶺の花という家庭では、かさ増しできるひき肉とじゃがいもをたっぷり入れたオムレツが食べられていたという。
昭和の時代には、粉薬を飲む際にオブラートで包んでから飲んでいた。オブラートはでんぷんから作られ、水に溶けやすく食べても大丈夫。ボンタンアメはオブラートで包まれている。ボンタンアメは発売開始から99年目となる。「オブラートに包む」という表現は今でも使われている。現在では錠剤やカプセルの薬が増えて、オブラートの出番が激減し、オブラートメーカーも減少した。
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- ボンタンアメ
昭和の時代には、古新聞や古雑誌を古紙回収業者に渡し、ちり紙やトイレットペーパーと交換していたちり紙交換があった。ちり紙交換では、古新聞などを軽トラックで回収していた。世間のリサイクル概念が高まり始め、古紙回収率が上昇。古紙の利用率は高くなく、国内の古紙は大幅に余り、古紙の価格は一気に下落した。1トン半分の古紙を回収しても2000円の売り上げにしかならなかった業者もいた。その結果、ちり紙交換を辞める業者が続出した。
松陰寺太勇ら出演者によるスタジオトーク。松陰寺太勇は「(兼近大樹とプライベートでプロ野球を見に行った時を振り返り)試合前だとお客さんみなさん、写真撮って下さいってわあってきて、OKいいよっていって」「お客さんがここで自撮りで撮って3人を撮ってくれるっていうふうにやってたんですけど、半分ぐらいの人は僕入ってなかったっす」などと話した。
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- 兼近大樹
昭和の時代、多くの駅でトイレにトイレットペーパーが設置されておらず、ちり紙自販機が活躍していた。ちり紙自販機の多くは100円玉のみ使用可能だった。当時は「使いやすいトイレを作ろう」という考え方が今よりも少なかった。しかし、鉄道会社が民営化されたことで状況が一変。2000年代から無料のトイレットペーパーの設置を開始。ちり紙自販機の設置数が減少した。
ファーストサマーウイカら出演者によるスタジオトーク。ファーストサマーウイカは「(コートを着たままトイレを使用して、ベルトがトイレの中に入った時を振り返り)ベルトだけさよならしていかなあかんから、小ちゃいゴミ箱みたいなのあるから、そこに入れて帰るから、ベルトのないコートが何着かあって」などと話した。
昭和の時代、旅館やホテルのテレビが有料だった。テレビの横に取り付けられた機械に100円を投入するところがあり、100円で1時間視聴可能という仕組みだった。100円を準備し忘れて、ドラマなどのクライマックスを見逃してしまう人も多かった。当時はテレビが高額だった。宿泊費を値上げすれば客足が減るため、テレビの購入費や電気代を回収しようとコイン式が広まった。しかし、技術の発達でテレビが安価になり、テレビが有料の宿泊施設はほぼ無くなった。
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- 船越英一郎
冨永潤さんがありえへん昭和家電ベスト7を紹介。冨永潤さんは昭和家電を集めていて1万店以上を所有している。第7位は「緑色の冷蔵庫」。緑家電は昭和50年代に大流行した。第6位は「花柄」。第5位は「テレビ」。現代のテレビは高度な技術により少ない部品で綺麗な映像を映し出すが、ブラウン管テレビは数多くの部品を組み合わせて映像を映し出していた。内部の部品が接触不良になることもあり、叩いて刺激を与えると接触が良くなり映像が戻ることもあった。