- 出演者
- 美輪明宏 宮崎哲弥 中根舞美 村上信五(SUPER EIGHT) 丸山隆平(SUPER EIGHT) 安田章大(SUPER EIGHT) 岡田圭右 近藤太香巳 アンミカ 成田悠輔 堀口真帆 呼春
オープニング映像。
このコーナーは、経済問題を議論し、日本の未来を良くしようと試みる企画。今回は近藤太香巳も参戦する。藤太香巳は当時、最年少で東証一部上場を果たした。現在はパッションリーダーズの代表として、中小企業や起業家のビジネスマッチングを実現している。
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- パッションリーダーズ
今回のテーマは「低賃金 長時間労働 人手不足 中小企業はどうしたら良くなる?」。現在、中小企業が深刻な状況にある。インフレによって物価が上がり続けているが、従業員の賃金は上げられず、長時間労働や人手不足といった問題が山積みとなっている。宮崎哲弥によると、賃上げが出来る中小企業は、生き残れる可能性が高い反面、賃上げができない中小企業は廃業に追い込まれていくという。また、近藤太香巳によると3つのパズルが大切で、3つのパズルは「(1)世の中(業界)はこうだ」「(2)課題はこうだ」「(3)私たちならこう解決できる」という。
「突出した経営者を日本から輩出するには?」について議論。成田悠輔によると、インセンティブを気にしないおかしい人を作る事も大事という。また、宮崎哲弥によると、アメリカの成功した起業家は子供の頃にいじめられていた人が多いという。
「意表を突く編」として、「アメリカで撮影された、男性がボウリングを投げた時に指が抜けず、体ごともっていかれた映像」などを紹介した。
「2024年最新映像」として、「中国で撮影された、トラックのコンテナが停車していた車を天井から押しつぶした映像」などを紹介した。
「激カワ動物編」として、「初めて見る電動カミソリに驚いた猫の映像」などを紹介した。
昭和の時代、「みかんの果肉入りこつぶ」が販売された。当時は果肉入りジュースが珍しかったこともあり、缶の底に果肉が残り、消費者は悪戦苦闘したという。飲み切るには工夫が必要だった。また、現在のプルタブはステイオンタブだが、昭和のタブは缶から取れるタイプだった。飲んだ後、プルタブを缶に入れて捨てていたが、飲む前にプルタブを缶に入れる者もいた。男の子たちはプルタブを飛ばして、飛距離を競い合った。一方、ポイ捨てが多く、砂浜で踏んで足を切ってしまったり、鳥がエサと間違えて飲み込んでしまうなどの問題があった。しかし、缶と一体型のプルタブが1989年に登場すると、問題は解消した。
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- こつぶ
昭和世代は、ヤクルトの容器を笛にして遊んでいた。ヤクルトは給食のメニューにもなっており、給食中にヤクルトを笛にして音を出し、先生に怒られた子供もいた。
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- ヤクルト
現在は「むぎ茶」を店や自販機で買うのが一般的だが、当時は家庭で作る麦茶が当たり前だった。麦茶パックが無かった時は、麦を煮出して麦茶を作っていた。冷えた麦茶を作るのに半日もかかった。
扇風機の震えた声が宇宙人の声のイメージに似ていたことから、昭和世代は扇風機に向かってする宇宙人のモノマネが流行。声の震えは羽の枚数と回転速度が関係している。昔の扇風機は羽が少なく回転速度が遅いので声が震えた。現在は羽の枚数が多く、回転速度が早いので、昔より扇風機で声が震えづらくなった。
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- 日本音響研究所
昭和の頃、アソコを見られないようにパンツの上から水着を着用していた。水着の中からパンツをひっぱり足を抜いて着替えていたという。令和世代はゴムとボタンがついたスカート型のタオルを使用して着替える子供が多いという。
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- 湯どんぶり栄湯
堀口真帆ら出演者によるスタジオトーク。堀口真帆は「(プールの思い出を振り返り)小中高って水泳の事業があるんですけど、そこで皆、女子は男子の腹筋を見るっていう」「女子からすると、それはフィーバータイムなんですよ」などと話した。
昭和世代は公演などの水道の蛇口から水道水をがぶ飲みしていた。ノドが乾いても水は禁止の部活が多かった。ドカベンでも、監督が水を禁止しているシーンがある。
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- ドカベン
岡田圭右ら出演者によるスタジオトーク。岡田圭右は「(夏休みの思い出を振り返り)夏休みはプール開放があるから、市日の夏休みのスケジュールが朝6時に起きてまず家の近所でラジオ体操。6時半からやねんけど、6時に行ってまずセミをチェックするの」などと話した。
昭和世代は、冷たい水が飲みたい時はウォータークーラーにむらがった。現在、水は買うのが当たり前。1983年、六甲のおいしい水が発売されたことをきっかけに、ミネラルウォーターが家庭にも浸透。水を買う人が多くなっていった。1985年にevianが発売。エビアンホルダーが発売されると若者たちはオシャレアイテムとして活用し、エビアンをぶら下げて街を歩くのが流行した。
1996年にミンティアが発売。令和世代の口臭ケアの定番はミンティア。昭和世代の定番は仁丹で、昭和版のフリスク・ミンティアだったという。昭和40年、ピーク時の混雑率が300%以上だった満員電車に乗っているサラリーマンには、仁丹愛好者が多かった。そのため車内ににおいが蔓延していたという。また、昭和の頃は会社のデスクや電車の中でもタバコを吸えるのが当たり前で、ほとんどの男性が喫煙者。仁丹で口臭ケアする人が多かった。仁丹は16種類の生薬が配合された医薬部外品で、乗り物酔い・二日酔い・めまいなどにも効果があるとされているため、様々な状況で重宝された。他に「梅仁丹」などが発売されていた。仁丹ケースはおしゃれアイテムとして人気だった。
仁丹はCMにより一躍有名になった。仁丹は現在も「稲垣薬局 本店」などで販売されている。「森下仁丹 大阪テクノセンター」での仁丹の作り方を公開。仁丹は桂皮など16種類の生薬を配合したものをデンプンなどと混ぜ合わせ、仁丹の中身を完成させ、粒に成形する機械で小さな丸い粒にする。成形後、水分が無くなるまで4日間乾燥させ、銀箔で銀色にコーティングする。仁丹が完成するまで約8日間かかる。