- 出演者
- 美輪明宏 宮崎哲弥 村上信五(SUPER EIGHT) 丸山隆平(SUPER EIGHT) 安田章大(SUPER EIGHT) 山本倖千恵 上川隆也 大西流星(なにわ男子) 高橋かの 嵐翔真
最近見かけなくなった飲み物として昭和世代が挙げたのはウィンナーコーヒー。神保町の喫茶店ラドリオはウィンナーコーヒー発祥の店と言われる。コーヒーにたっぷりの生クリームをのせた飲み物で、昭和世代の定番コーヒー。当時のウィンナーコーヒーは値段が少し高く、若者が背伸びするオシャレな飲み物だった。ウィンナーコーヒーの「ウィンナー」の由来はオーストリアのウィーン風という意味。1950年頃に誕生し、昭和の喫茶店の定番コーヒーになるほど広まったが、喫茶店が1981年をピークに減少し飲める場所が少なくなったことで目にしなくなっていった。
昭和世代が電化製品を動かすためによく使っていたのはマンガン乾電池。安く買える赤色と、1.5倍の容量の黒色があった。特に黒い電池は当時の昭和庶民の憧れだった。リモコンや時計は赤色で我慢してパワーが必要な懐中電灯やラジカセなどは黒色など使い分けていた。急に電池が切れたときのために電気店の前などには乾電池の自動販売機がよく置かれていた。ナショナルは2008年に廃止されパナソニックにブランド統一された。ナショナルが高いシェアを誇っていたのがマンガン電池だがなぜ減ったのか。小型のオーディオやゲーム機などより多くの電力を使う製品が登場したことで、高性能なアルカリ電池に切り替わっていった。マンガン乾電池に比べると最新のアルカリ乾電池は3倍から10倍長持ちする。
昭和世代は乾電池を冷蔵庫に保管していた。電池が長持ちすると言われていたが、実際には結露などで端子が錆びてしまうので良くない。令和世代でもスマホを冷蔵庫で冷やすなどをしている人がいるが、故障の原因になるという。
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昭和世代が羨ましがっていたのはローラースケート。ブームのきっかけは光GENJI。1970年代にアメリカで流行していたローラーゲームを日本科学技術振興財団(現在のテレビ東京)が初めて放送した。やがて日本のローラーゲームチーム・東京ボンバーズも結成され、選手たちはアイドル並みの人気を誇った。ローラースケートには靴とローラーが一体になったものと靴に紐やバンドで装着するものがあったが、装着型が平均4400円だったのに対して一体型は平均26547円と約6倍だった。
昭和の男子が憧れるも高価でなかなか買えなかった自転車とは。
他人が持っていて羨ましいと感じた懐かしグッズについて大西流星はバトルえんぴつ、嵐翔真はApple Pencilだと話した。上川隆也はインスタントラーメンを食べたことがなく友達の家で食べて衝撃だったと話した。
昭和の男子が憧れるも高価でなかなか買えなかったのがフラッシャー付き自転車。当時一般的な自転車が平均15745円だったのに対しフラッシャー付き自転車は約4倍の59800円だった。
羨ましかったものは他にもあり、ピアノやバイオリンを習っているのはお金持ちとの意見が出た。昭和の定番の習い事とは?
高橋かのはとっくりセーターやチョッキが分からないと話した。大西流星はオバQが何のことかわからず後で調べて分かったと話した。
昭和のお金持ちの習い事といえばピアノやバイオリンだったが庶民派はそろばんだった。令和では習い事の掛け持ちも多いよう。
昭和のお金持ちが集めていたものはビックリマンチョコ。ロッテから発売されたウエハースチョコで、1977年に誕生し最盛期には4億個を販売した。メガヒットの理由はシールで1500種類以上あり、子どもたちのお目当てがヘッドと言われるレアシール。
第57代横綱三重ノ海を祖父に持つ令和時代のモデル嵐翔真は、唾を付けて髪を整えるのが本当に嫌と話した。
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最盛期には年間4億個も販売するブームを巻き起こしたビックリマンチョコ。メガヒットの理由はお菓子に付いてくるシールだが、集め方も庶民とお金持ちで違いがあり、駄菓子屋でビックリマンチョコをツケ払いする小学生もいたそう。
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昭和世代が羨ましかった筋トレグッズとは。
能面検事の番組宣伝。
昭和世代はバネで体を鍛えるエキスパンダーでトレーニングを行っていた。東京オリンピックのあった1960年代に大流行し、持っているだけでカッコ良い憧れの商品となった。現在は鉄製ではなく安全面を考慮したチューブタイプが主流となっている。