- 出演者
- 美輪明宏 宮崎哲弥 村上信五(SUPER EIGHT) 丸山隆平(SUPER EIGHT) 安田章大(SUPER EIGHT) 山本倖千恵 上川隆也 大西流星(なにわ男子) 高橋かの 嵐翔真
昭和のプールの授業といえば、気温が低くても雨が降っていてもお構いなし。唇を紫色にしたり、歯を音が鳴るほど震わせるのはよくあることだった。現在は雨が降ったり気温が低いとプールの授業は中止になる。
洗眼器は水が上に噴き出す仕組みになっていて、プールの授業のあとに目に付着した塩素を洗い流す目的で使用されていた。現在はスイミングゴーグルを着用が当たり前になったうえ、勢いよく長く目に水を当てると角膜を傷つけてしまう危険性がある。2008年に日本眼科医会で積極的に推奨するものではないと発表され、多くの学校で廃止となっている。
かつては腰洗い槽というものがプールにはあり、ここを通過してからプールに入る必要があった。体についた雑菌をプールに入る前に消毒するものであり、この槽には消毒液が入っていた。しかし、他の人が先に使っているので逆に不衛生ではないかと話す声も令和世代からは聞かれた。現在はプールの浄化設備が向上したことで腰洗い槽は義務化が無くなった。
令和のプールには昭和時代にあったあるものが無くなっているという。それは何?
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令和のプールでは見かけなくなったものがあるといい、それはスタート台。かつては飛び込み台と呼ばれ、昔は小学校でも見かけられたが、児童が頭を打ってしまう事故が相次いだことから現在は端の壁から6mまでの水深が1.35m未満のプールにスタート台を設置することが禁じられるようになった。
昭和時代はブリーフを使っていたものの、股間を見られたくない男子はパンツの上から水着を着用し、パンツを強引に引っ張り足を抜いて着替えるという着替え方が人気だったという。バスタオルをまくといたずらでタオルを剥がされるリスクがあったことからもっとも安全に着替えることができたという。しかし、ゴムが引き伸ばされてすぐだめになってしまい親から叱られることも多くなった。現在はゴムとボタンが付いたスカート型のタオルがあり安心だという。
ウォータークーラーは、足で踏んでも手で押しても噴水のように水が出てきた画期的な機械だった。直接口を付けて飲む人を目撃すると、嫌な気持ちになる。今はペットボトルの水を飲むのが当たり前の時代だが、昭和世代にとって水は蛇口をひねればただで飲めるもののため、当時は水を買うのはありえないと考える昭和世代が多くいた。
昭和の台所でよく見られたのが、花がらの床。色も模様も様々で、食器を落としても割れにくいように柔らかい素材でできている。さらに、汚れを落としやすいように表面がビニール加工されているのもポイントだった。平成に入り、洋風建築が流行し始めて姿を消した。
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昭和の時代ビニール製のテーブルクロスが大流行。ツルツルの表面で汚れを落としやすく、布より分厚くて頑丈だった。
黒電話に手作りのカバーを付けることが定番だった。昔は電話がないご近所さんに貸す機会が多く、オシャレに見せるためにカバーを付けていたひともいるという。
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昭和の常識「シャンプーハット」。テレビCMなどをきっかけに大流行し、爆発的にヒットした。昭和45年をピークに、売り上げは減少。ピップのシャンプーハットは、昭和45年には月に100万枚売れていたが、令和元年には1万5000枚まで減ったという。
上川隆也は、自分をまぬけに感じてしまう事件について、ロケに行くときの荷物が増え、小旅行みたいになっている、傍から見ると何してるんだろうなと思うなどと話した。旅行の荷物が少ないという安田は、同じものを着る、汗をかいたら、水で洗って干して乾かす、裸足でいけるものを用意して、靴下も減らすなどと話した。上川は、フィリピンでのロケで、バイきんぐ・小峠がボストンバッグ1つで来ていて、どうまかなっているのかなどと話した。大西は、メンバーの高橋恭平も荷物が少なくて、3泊4日ほどの地方ツアーに、ゲーム機と財布だけ持ってきていた、他の荷物はメンバー頼りで、メンバーの荷物がだんだん増えていくなどと話した。
シャンプーハットを見なくなった理由は、シャワーの普及が要因の一つだという。シャンプーハットは、昭和44年に誕生。当時は、湯船のお湯でシャンプーを流していたため、シャンプーを嫌がる子どもが多かった。シャンプーハットはその対策として開発された。昭和の終わりから平成にかけて、どの家庭にもシャワーが普及し、シャンプーハットを使う子どもは激減した。令和世代は、人が入った湯船のお湯で洗うことに抵抗がある人が多かった。ピップでは、水に慣れることを目的にしたシャンプーハットを販売している。
今見かけなくなった食べ物として昭和世代が挙げたのはチューリップ。骨付きの鶏のから揚げで、骨が茎、肉の部分が花に見えることから名付けられ、精肉店やスーパーで売られたり家庭で作ったりと身近な料理だった。なぜ最近見かけなくなったのか。元々1960年代に精肉店の惣菜メニューとして誕生したもので、売れ残った手羽元・手羽先をなんとか売ろうという工夫の中で加工して売ったのが始まり。日本唐揚協会専務理事 八木宏一郎さんは、作り方にかなり手間がかかるので、その加工をするくらいなら骨のない外国産の肉を売った方が手間もかからず価格も安く食べやすいと話した。チューリップは1970~80年代をピークに安価な外国産もも肉に居場所を奪われたという。さいたま市の神田精肉店では現在もチューリップを出している。
昭和世代の懐かしの食べ物スコッチエッグは、小麦粉をまぶしたゆで卵をひき肉で作った肉ダネで包み込み、小麦粉、溶き卵、パン粉を付けてきつね色になるまで揚げて完成。巣鴨にある洋食 小林ではスコッチエッグ定食が食べられる。