- 出演者
- 和田アキ子 峰竜太 山形純菜 明石家さんま
きょうはアッコにおまかせ!40周年記念スペシャル。5年半ぶりに番組観覧が復活。出川哲朗からのメッセージを紹介した。
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- 出川哲朗の充電させてもらえませんか?
40周年を迎えた「アッコにおまかせ!」で特別プロジェクトが始動。外苑前に描いたアッコの巨大壁画プロジェクト。手がけたのは野球場「エスコンフィールドHOKKAIDO」にある作品や世界陸上超人BIG7の作品など数々の話題となった壁画を制作するアーティスト集団「OVER ALLs」。ピアニストがアッコの楽曲を演奏しながらのライブペイント。笑顔のアッコが完成。紙吹雪の部分は準レギュラーがスプレーで制作。直筆サインも入れサプライズで40周年をお祝いした。生放送中にもう1枚40周年記念壁画を描く。
1985年10月6日にスタートした「アッコにおまかせ!」。昭和、平成、令和、3つの時代で40年間生放送。「おまかせ!」放送の歴史で起こったニュースをプレイバック。
1985年、おニャン子クラブがデビュー。メンバーが着ていたブランド「セーラーズ」は爆発的な人気を誇り、東京・渋谷にあった店舗では1日の売上が最高3800万円、年商は28億円に達した。2000年に閉店したが去年出店40周年を記念し、渋谷モディに期間限定でPOP UP SHOPをオープン。おニャン子クラブの衣装を完全復刻した商品などが販売され、話題となった。
1985年当時「おまかせ!」のアシスタントを務めていた爆笑問題・太田光の妻であり、芸能事務所「タイタン」の社長でもある太田光代。太田からアッコにメッセージ「アッコにおまかせ!と一緒に歳をとれていることはとてもありがたいというか感慨深いものがある。本当におめでとうございます」。
1985年10月6日に「アッコにおまかせ!」第1回放送。40年間で変わったものはおまかせ!ポーズ、放送時間、裏番組。裏番組各局の合計は90番組以上。主な裏番組は日本テレビ系「鶴太郎のテレもんじゃ」、テレビ朝日系「やすきよ笑って日曜日」、フジテレビ系「クイズ・ドレミファドン!」など。和田が「みなさんのおかげでこの番組はもっている。ありがたいこと」などとコメントした。
1985年にデビューしたおニャン子クラブが着て人気となったセーラーズの服。「おニャン子セーター」は3万9800円。
1990年~1994年をプレイバック。1992年、バルセロナ五輪で岩崎恭子が競泳史上最年少となる14歳で金メダルを獲得。当時岩崎がインタビューで語った言葉はいまも多くの人の記憶に残っている「今まで生きてた中で一番幸せです」。
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1991年、東京・芝浦に誕生した伝説のディスコ「ジュリアナ東京」。バブル経済の象徴としてお立ち台で踊るワンレン・ボディコンの女性たちの熱狂ぶりが多くのメディアで取り上げられ、社会現象になった。1994年に閉店したジュリアナ東京。芝浦の跡地へ。現在は広告会社「TBWA\HAKUHODO」が入っている。
1990年代、あの名物コーナーがスタート。「アッコジャンボ宝くじ」はリポーター・吉村明宏の呼びかけで多くの人が預金通帳を持って中継先に集合。アッコが引いた3つの数字と持ってきた通帳残高の下3桁が一致すれば賞金をゲット。
1994年、4月10日に産婦人科を訪れ、アッコと同じ誕生日に生まれた赤ちゃんを紹介した。31歳になった吉川輝さんに会いに行った。現在はフィットネスジムのトレーナーとして働き、3年前に結婚。
1995年~2000年の日本をプレイバック。1995年、「Windows95」発売。秋葉原はいち早く購入したい人が入り乱れ、お祭り騒ぎになった。
1999年、ロックバンド・GLAYが千葉・幕張メッセの特設会場で国内史上最大の20万人コンサートを開催。当時有料ライブの観客動員数の世界記録を打ち立てた。
ミレニアムイヤーの2000年、アッコに緊急事態が発生。交通事故に遭い入院。サンケイスポーツには「目撃者がアッコを男性と勘違い」との内容が。このときアッコを救助した救急隊員・柳澤さんを直撃取材。
