- 出演者
- 松嶋菜々子
今回はイビチャ・オシムを特集。日本代表監督を務めて、日本サッカーの改革をした世界的な名将だ。そんなオシムが人目をはばからず涙したことがあるという。
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- イビチャ・オシム
オープニング映像。
今回の運命の分岐点は1992年5月22日。イビチャ・オシムがユーゴスラビアの代表監督を辞任した日だ。その2年前にユーゴスラビアはW杯でベスト8入りしていたが、ユーゴスラビアは民族紛争で分裂し選手たちも分断されてしまった。最初の視点はオシムの元でユーゴスラビア代表選手としてプレーしたドラガン・ストイコビッチだ。民族紛争が起きた時は、代表選手選びで批判に晒され、その矛先が選手に向かうこともあったという。ただオシムは「スポーツにおいて政治的配慮は必要ない」と民族主義の圧力をはねのけて、イタリアW杯本大会出場を決めたという。
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ユーゴスラビア代表は準々決勝に進み、マラドーナのいるアルゼンチンと対戦しPKの結果、ユーゴスラビアは敗退した。ただストイコビッチはベスト8に入ったので大きな成功だったと当時について語った。しかし民族紛争は激しくなり各地で独立宣言がされる状況になってオシムは涙を流しながら代表監督を辞任した。オシムはその後、ヨーロッパ各国のチームを転々として、日本にたどりついた。
次の視点は旧ユーゴスラビア代表のファルク・ハジベギッチ。ボスニア・ヘルツェゴビナは当時、複数の民族で対立しており代表権剥奪の危機という状況だった。そうした中でオシムは祖国のサッカーを民族問題から救うことになったという。2009年になると選手も揃い、本大会出場を期待されたが、司令塔のミシモビッチが欠場したことで敗退した。ミシモビッチはケガでの欠場だったが、監督からはセルビア計指導者から圧力を受けて試合をボイコットしたと言われたという。
2011年に国際サッカー連盟はボスニアに「1人の会長の任期は4年」と通達があったが、それをサッカー協会が受け入れなかったことから、国際サッカー連盟はボスニア代表の国際試合への参加を認めないと通告したという。そのためオシムはサッカー協会の会長一本化に向けて活動するようになったという。そして回答期限間近というところで、オシムは会長の一本化に成功した。そして2014年にボスニアは初めてW杯本大会出場を決めた。そして2022年にオシムは息を引き取った。
エディン・ジェコは今もチームを牽引しており、ミシモビッチはスタッフとしてチームをサポートしている。サラエボにはオシム通りがあり、そこではサッカーをする子どもたちの声が響いているという。
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番組の次回予告。