- 出演者
- 松嶋菜々子
2013年、和食はユネスコの無形文化遺産に登録された。登録が実現すると海外から和食を求めて来日する観光客が激増。和食の無形文化遺産登録とその後の物語。
- キーワード
- 和食国際連合教育科学文化機関
オープニング映像。
正月におせちを頂く、日本で古くから行われてきた年中行事。いま和食離れが進む中、日本の食文化は危機に瀕してるとも言われている。運命の分岐点は2013年12月4日。和食がユネスコの無形文化遺産に登録された。熊倉功夫は和食を無形文化遺産登録に導いた立役者。熊倉功夫は大正元年に創業した老舗料亭の3代目。熊倉は日本食文化がこのままではなくなっていくと危機感を持ち無形文化遺産への登録を目指した。2010年11月、世界で始めて無形文化遺産に食文化が登録サれた。第1号がフランスの美食術。これが貴重な文化と認められた。登録を導いたのはフランス料理会の重鎮、アラン・デュカスだった。デュカスと村田は30年来の友人だった。来日した時、デュカスは村田に日本料理もしたほうがいいと言った。村田は関係しそうな省庁に手紙を出したがまったく反応がなかった。そのため村田はユネスコ本部に直接電話をかけた。しかし日本人の職員に「自国が文化と認めていないものを文化登録遺産をしたいのか?。日本では文化の枠にはいっていない」と言われた。国を動かすためにはどうすればいいのか、まず京都府知事のもとを訪れた。山田啓二元府知事は「かなり強く言われた。これを聞いて動かないわけにはいないと思った」などと述べた。山田元府知事は文化庁や国会議員を訪ね歩き日本料理を無形文化遺産にするべきだと訴えた。農林水産省は2011年7月5日、登録に向けた検討会を設立した。ユネスコに申請する書類には和食の特徴として「多様な食材とそれを生かす工夫」「バランスの良い健康な食」「自然の美しさの表現」「年中行事と関連し家族や地域の絆となっていること」4つのポイントを盛り込んだ。そんな中、デュカスから、パリのレストランで和食を披露しないかと提案があった。しかもその席にユネスコの担当者を招くという。2011年12月、村田はパリで和食を披露。そして2013年12月4日、和食は文化遺産登録が決まった。
和食が無形文化遺産に登録されると海外の日本料理店は倍増し来日する観光客も増えた。しかし格付けを行うガイドブックやウェブサイトが注目を浴び、その評価に一部の料理人たちが一喜一憂し翻弄されることも。東京・銀座にある京星の店主・榊原茂弥は、10席だけの小さな店で、カウンターごしに客と対面し揚げたての天ぷらを食べてもらうことにこだわってきた。榊原は和食の無形文化遺産登録の5年前、レストランガイドで2星に評価された。2011年からは天ぷら店として3星の評価を受けた。すると海外からの観光客が怒涛のように押し寄せ、店の電話は1日中鳴り止まなくなった。お客が増えてありがたい反面、大声で話したり、写真を撮ることに夢中になったり店の雰囲気が変わってしまった。もっとも悩んだのが、常連を断ってまでいれた予約を、直前にキャンセルする人が多かったことだった。
2008年、3つ星で掲載された奥田透もまた和食ブームに翻弄された。当時の奥田の店は満席でも14人しか入れない小料理屋だった。奥田はまず、店を大リニューアル。客がゆったりできるようにして調理場も広げた。そして和食が無形文化遺産に登録された2013年、フランス・パリに新たな店を出した。しかしその直後、店の評価が2つ星に落ちてしまった。奥田透は「最近、すごく信用関係のある常連のお客さん2~3人に、ちょっとどうしたのかなってときもあったからねと言われた。ネストだと思ってやっていても食べるお客さんがどう感じるかが大事」などと話した。奥田はビジネスや評価のためではなく和食を提供する料理人としての原点に立ち返り、メニューを一新。食べやすい和食を味わってもらおうと、目の前のお客さん1人1人と向き合っている。
ジャーナリストの犬養裕美子は「星をもらうと、下げられるのは困る。精神的にも追い詰められるし心安らぐときがない」などと話した。天ぷら店の榊原はこのままではお客に満足してもらえる店を維持できなくなると考え2015年のレストランガイドに榊原の店は載ってなかった。榊原は「載せないでくだいってはっきり言った。権威とか能書きとか必要ない」などと話した。
和食をことなく愛するジャーナリスト、マイケル・ブース。家族とともに3か月日本を旅し和食を食べ尽くした。著書「英国一家、日本を食べる」は日本でもベストセラーになった。マイケルル・コルドン・ブルー パリ校やロブションなどで修行。和食に興味を持ったきっかけは「Japanese cooking 新装版 A simple art」という本だった。この本にはレシピだけではなく、食文化やその背景にある哲学についても書かれている。一生的だったのは「日本人は日本料理の伝統をほとんど知らず、その素晴らしさを後世に残そうともしていない」という一節だった。マイケルは「急いで取材をしないとと思った。日本の伝統的な食文化を見て体験できる最後のチャンスだと思った」などと話した。こうして2007年、マイケルは家族4人で来日し北海道から沖縄を回った。高級料亭から居酒屋まで何でも食べて見るをモットーに食べ尽くした。特に懐石料理の美しさには度肝を抜かれたという。その会席料理を食べた店が和食を無形文化遺産に導いた料理人、村田の料亭だった。2013年、和食が無形文化遺産に登録されると、マイケルは再び家族とともに来日した。今度は食材や食文化についての取材だった。マイケルにとって1番大きなテーマが日本人にとっての米だった。これを理解しなければ和食を理解できたとは言えないと、2015年、マイケルは米農家・古川勝幸さんのもとを訪れ取材し稲刈りなどを体験した。2016年、マイケルはティーンエイジャーにせいちょうした息子たちと、再び古川勝幸さんのもとを訪れ、子どもたちと一緒に田植えを手伝った。
島根・大田市に住む、中尾祥子さんは農林水産省に12年勤め事務方として登録を見届けたあとに退職。島根に帰り、生産者たちの支援にあたっている。村田吉弘は給食で出汁の旨味を使った和食を出す活動を続けている。村田は「いまでも和食は危機だとおもう。どうやって日本料理を広めて豊かな社会を作っていくのかというのが僕らの仕事」などと話した。
NHKスペシャルの番組宣伝。
- 過去の放送
-
2023年12月1日(22:00)