- 出演者
- 田中裕二(爆笑問題) 田中卓志(アンガールズ) 太田光(爆笑問題) 山田五郎 堤礼実 松村沙友理
オープニング映像。
フランスの画家のアンリ・ルソーについて、ピエール=オーギュスト・ルノワールやカミーユ・ピサロ、ポール・ゴーギャンなどの画家たちは絶賛しているという。去年、オークションにかけられたアンリ・ルソー「フラミンゴ」の落札額は65億円。アンリ・ルソーが本格的に絵を描き始めたのは40歳に入ってから、脱サラして画家になったという。1844年、アンリ・ルソーはフランスで生まれる。超貧乏な家庭で育ったが、子どもの頃から絵を描くのが大好きで将来は画家を夢見ていた。19歳で弁護士事務所に就職。しかし、同僚にそそのかされ、雇い主の家からお金を盗んで逮捕される。1か月の牢獄生活の後、軍隊に送られた。除隊後、パリ税関の事務員として働くが、ブラックな環境で1日14時間の労働をしていたという。25歳の時、住んでいた家の大家さんの娘・クレマンス(19歳)と結婚。奥さんへの愛情は深く、7人の子どもに恵まれた。40歳を過ぎても夢は画家。この頃、国立美術館(現在のルーブル美術館)の絵などを模写する許可書をゲットしたアンリ・ルソー。仕事をしながら独学で絵を描き始めた。当時、画家になるための登竜門は「サロンド・パリ」と呼ばれる展覧会に入選すること。神話や聖書をモチーフにした滑らかなタッチの絵が主流だったという。41歳でサロンド・パリに初挑戦したが、落選。アンリ・ルソーは「アンデパンダン展」と呼ばれるお金を払えば無審査で出品できる展覧会に作品を出し続けた。その後、アンリ・ルソーの絵は笑える絵として展覧会で話題になる。ある日、別の展覧会で新聞に「ルソー受賞!」との文字が載る。しかし、受賞したのは同姓同名の別人だったが、アンリ・ルソーは自分が受賞したと脳内変換し、肩書きに展覧会受賞者と加えたという。1889年、パリ万国博覧会が開幕し、完成したばかりのエッフェル塔がパリのシンボルになった。万博を見に行ったアンリ・ルソーは感動し、「風景の中の自画像」を描いた。
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- アンデパンダン展アンリ・ルソーエッフェル塔カミーユ・ピサロカーニヴァルの晩サルバドール・ダリサロン・ド・パリパリ万国博覧会ピエール=オーギュスト・ルノワールフラミンゴポール・ゴーギャンルーヴル美術館国立西洋美術館新選組沖田総司私自身、肖像=風景
「風景の中の自画像」はアンリ・ルソーが生涯手元に置いて大事にしていた作品で、加筆し続けた絵だという。山田五郎はツッコミどころが満載で大渋滞している。足を描くのが苦手だと話した。この作品について、当時の新聞記事には「ルソー氏は絵画の発明者だ!風景=肖像画を発明したのは彼なのだ、私は彼にその発明品の特許を取ることをお勧めする」という皮肉を込めた文が載った。ここで「足を描くのが苦手だったルソー、その苦手を克服した方法とは?」という問題が出された。
「足を描くのが苦手だったルソー、その苦手を克服した方法とは?」という問題。正解は「足を何かで隠す」。
アンリ・ルソーが44歳の時、妻・クレマンス(38歳)が結核で他界。実は長男も1歳で亡くしており、7人生まれた子どものうち、6人が幼くして亡くなっていた。しかし、家族に恵まれないアンリ・ルソーは女性に少し優しくされると、すぐ好きになる恋愛体質。家庭を顧みないアンリ・ルソーに呆れた周囲は1人残った三女を親戚の家に預ける。49歳の時、24年勤めたことで年金が出ることになったため、税関の仕事を退職。画家に専念することにしたが、絵を買ってくれる人はおらず、貧乏に拍車がかかる。55歳の時、2人目の妻・ジョセフィーヌと結婚。お金が必要だったアンリ・ルソーは「眠れるジプシー女」という絵を故郷・ラヴァル市の市長に約200万円で買ってほしいと手紙を出したが、結局売れなかった。この絵は現在、ニューヨークにあり、ニューヨーク近代美術館の目玉作品。ジョセフィーヌは結婚後、4年で他界。しかし、アンリ・ルソーの絵を評価する人が現れる。1人目は詩人として有名だったギヨーム・アポリネール。アンリ・ルソーを慕い、「色彩が素晴らしい!」「こんな絵を見たことがない!」と褒めた。ギヨーム・アポリネールの恋人が画家のマリー・ローランサン。ある日、アンリ・ルソーは2人の肖像画を描くことになった。しかし、スレンダー美女のマリー・ローランサンはギヨーム・アポリネールよりも巨大化。苦手な足元は花で隠されていた。
アンリ・ルソーが描いた顔も体型も全く違う肖像画。その後、修正したが、描き直したのは花だった。ここで「2人目の奥さんとツーショットの絵 【??】に描かれているのは?」という問題が出された。
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「2人目の奥さんとツーショットの絵 【??】に描かれているのは?」という問題。正解は「1人目の奥さん&若い頃のルソー」。続いては「サービスで描いたものは?」という問題が出された。正解は「小さな動物&主人の髪を増量」。
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- アンリ・ルソージュニエ爺さんの馬車
アンリ・ルソーは還暦を過ぎても極貧生活を送っていた。元銀行員の男の話を信じ、お金の運び屋のようなことをやらされ、再び逮捕される。1か月後に釈放され、描いたのが「フットボールをする人々」。楽しそうな絵だが、投獄中に見た囚人たちがレクリエーションする風景を描いたもの。2度目の投獄で落ち込んでいたアンリ・ルソーを励ましたのはパブロ・ピカソ、アンリ・ルソーの37歳年下だったが、激推ししていたという。1905年、パブロ・ピカソは蚤の市でアンリ・ルソーの絵を約5000円で購入。「女性の肖像」という絵を大絶賛し、生涯手元に置いていた。パブロ・ピカソはアンリ・ルソーを励ますために自分のアトリエ「洗濯船」でルソーを讃える夕べという夜会を開いた。才能溢れる若きアーティストが集まり、大騒ぎした。晩年になり、アンリ・ルソーの評価は爆上がりし始める。63歳の時に描いた「蛇使いの女」は審査に通った作品しか展示されない「サロン・ドートンヌ展」に飾られた。この時期から画商のアンブロワーズ・ヴォラールはアンリ・ルソーの絵を買い始めたという。良い値段で絵が売れていたが、アンリ・ルソーは54歳の未亡人に猛アタック。お金を貢ぎ、全財産を譲る遺言書まで書いた。そんなアンリ・ルソーが最晩年に描いた作品は「夢」。
アンリ・ルソーが最晩年に描いた作品は「夢」。その頃から足の病気が原因で入院。症状が悪化し、アンリ・ルソーは66歳で他界した。山田五郎はルソーは兵隊をやっていた頃にナポレオン三世の軍隊でメキシコのジャングルに行って、その時の体験で作品を描いていると言い張った。しかし、亡くなった後に色々調べたらルソーはメキシコに行っていないことが判明。フランスから1歩も出ていないと話した。
「陽気ないたずら者たち」という作品について、山田五郎はルソーは植物園で見て描いているため、給水機も植物だと思って描いてしまったと話した。1900年代後半、ポップアートブームでアンリ・ルソーの人気が再燃した。アンリ・ルソーについて、山田五郎は結果として絵全体のバランスがとれていて、色彩感覚が抜群だと話した。
「第35回 高松宮殿下記念世界文化賞」。今年も建築・彫刻・絵画・音楽・演劇/映像の各分野で世界的に顕著な業績をあげた芸術家に賞が授与された。今年、絵画部門を受賞したのはフランスのソフィ・カル。山田五郎はアートは勉強するためのものじゃない、楽しむためのものだと話した。
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