- 出演者
- 膳場貴子 駒田健吾 中西悠理 杉浦みずき 唐橋ユミ
2位・西武は抑えの甲斐野央が1点リードの9回ツーアウトから日本ハム・清宮に同点タイムリー。目前の勝利を逃し、痛い引き分け。西武3-3日本ハム。
オリックスは1点リードの6回、満塁の大ピンチで田嶋大樹がマウンドへ。イニング途中からの登板は初めてだったがYG安田を三振に取りツーアウト。続く辰己をレフトフライ。ピンチを無失点で抑え、プロ初ホールドを挙げた。オリックス5-3楽天。
セ・リーグ、中日戦7連敗中の4位・ヤクルト。1点を追う4回、2番・古賀のタイムリーで同点。続くサンタナが勝ち越しタイムリー。苦手中日戦の連敗をストップ。ヤクルト6-5中日。
3連勝中、3位・DeNAは宮崎敏郎、筒香嘉智がHR。4連勝のDeNA。最大15あった借金を2にまで減らしてきた。DeNA7-2広島。
2位・巨人、木曜日には抑えのR.マルティネスが外国人選手初、史上最速の411試合目で通算250セーブを達成。チームは首位・阪神に1.5ゲーム差と迫った。
きのうは巨人と阪神が直接対決。このカードでは7月から7連敗中の巨人。きのうも先発竹丸和幸が1回から1アウト1塁、2塁としてしまい、対するは4番・佐藤輝明。セ・リーグ三冠王の佐藤をダブルプレー。ピンチを切り抜ける。打線は2回、坂本勇人。この日5番で起用された20年目のベテランがチャンスを作ると松本剛がレフトへ。防御率リーグトップの阪神先発・村上から1点を先制する。竹丸は森下を3打席で2打数ノーヒット。佐藤輝明を3打数でノーヒット。チーム打率、HR数リーグトップの阪神打線を7回無失点に抑える。1点を完封リレーで守りきった巨人。9月3日には5ゲーム話されていた首位・阪神に0.5ゲーム差まで急接近。巨人1-0阪神。
首位・阪神と巨人のゲーム差は0.5。巨人・R.マルティネスは最速で250セーブを達成。中畑が「きのうの戦い方を見たらジャイアンツのほうが短期決戦でこうやって戦うんだよっていうオーダーを考えたよね」、落合が「最後の1試合まで分かりませんよ」などとコメントした。
パ・リーグ順位表(Nippon Professional Baseball)、ソフトバンクはマジックを7とした。
32年ぶり日本開催、アジア大会は19日の開会式に先駆けて男子バスケットボールがスタート。初戦を制した日本の第2戦、攻撃の口火を切ったのはチーム最年少の川島悠翔(21)。さらに24歳小川敦也の鋭いドライブ。若手が勢いをつける。ベテランも奮起。最年長のA.カーク(34)がゴール下を支配。チーム力を見せた日本は開幕2連勝。グループリーグ突破を決めた。日本86-80サウジアラビア。
アジア大会いよいよ開幕。「バナナマンのせっかくグルメ!!」「坂上&指原のつぶれない店」「日曜劇場『VIVANT』」「日曜日の初耳学」の番組宣伝。
ホワイトソックスの村上宗隆はツインズ戦で今シーズン30号。メジャー1年目の日本選手が30合に到達するのは初めて。ツインズ6-4ホワイトソックス。
メジャー1年目、ブルージェイズの岡本和真もアスレチックス戦で30号アーチ。岡本と村上、大谷翔平と1シーズンで3人の日本選手が30号に到達するのは史上初。ブルージェイズ4-2アスレチックス。
10日のパイレーツ戦で村上が31号。パイレーツ4-2ホワイトソックス。
岡本もきのうの試合で31号。オリオールズ7-4ブルージェイズ。
大谷は5試合ぶりにスタメン復帰したレッズ戦でノーヒット。ドジャース6-3レッズ。大谷は右腕の状態が上がらず負傷者リスト入りとなった。
大谷翔平が負傷者リスト入り。落合が「ポストシーズンを見据えての措置なんだろうと思います。報道されているような軽い状態のけがではないんじゃないか」などとコメントした。
大谷に続いて村上、岡本もHR30本を超えた。中畑が「けがなく1年間戦い続けた、打席に立ち続けたのは岡本しかいない。よく頑張った」などとコメントした。
張本勲に関するトーク。張本からご意見番を受け継いだ上原浩治のコメント「ハリさん…約束が違いますよ~。来年の勝負とご飯連れてってくれるって言ってたじゃないですかぁ~。大『喝』ですよ!!ゆっくり休んでくださいね」、関口宏のコメント「頑固でいいおじさんでした。喝の名人でもありました。張さん、ありがとうございました」。唐橋が「張本さんの発言が毎週ネットニュースになって、SNSで大騒ぎになっていたのは多くの人が張本さんの言葉に対して感情を揺さぶられていたからだと思う。身近で接してきたハリさんは愛情深い方だった」などとコメントした。
野球教室で子どもたちに語りかける張本勲。長年熱心に教え続けるわけを「平和だからできるのであって、なるべくたくさんの子どもが野球できるような環境を我々大人が作ってあげないと」と語っていた。思いの背景にあるのが自らの被爆体験。おととし核廃絶を訴えてきた日本被団協がノーベル平和賞を受賞。張本は「ほっとした。感謝している。もう少し早くもらいたかった。亡くなった先人たちにも聞かせてやりたかった」などと話した。朝鮮半島出身の両親のもと1940年、広島で生まれた張本。母親はほとんど日本語が話せない中、4人の子どもを育てた。5歳となった張本が迎えた8月6日。自宅の玄関先で浴びた閃光。張本は母親にかばわれ無事だった。外出していた6つ年上の姉は爆心地近くで被爆。戦後学校ではけんかに明け暮れ、広島弁でごんた=暴れん坊と呼ばれた張本。中学で始めた野球が人生を変える。父が亡くなり貧しい暮らしの中、1人で自分を育ててくれた母親。母にいい暮らしをさせたい、そんな思いからプロ野球を志す。高卒でプロに入団。すぐに目覚ましい活躍をみせるがその陰で常に怯えていた原爆症。年に1度の健診のたびに恐怖にかられ、軽い咳や腹痛でも原爆症と結びつける日々だった。さらに張本を苦しめたのが被爆者への差別。自らの被爆について口を閉ざした張本。そこに訪れた転機とは。
60代になった張本は新聞社に頼まれ原爆についての記事を寄せる。「8月6日は大嫌い。法律でなくして5日の次は7日にしてほしいぐらいだ」(毎日新聞)。この記事を見た小学生の女の子から届いた一通の手紙が張本の背中を押した。原爆と向き合うことから逃げていた自分に気づいた張本。辛くて行くことができなかった原爆資料館に足を運んだ。黒焦げの三輪車、やけどを負った人たちの写真。すべての展示に足を止めた。偉大なプロ野球選手として、被爆者としての人生を歩んだ張本。被爆体験を伝えることのできる最後の世代として語り続けた。「原爆の被害は広島、長崎を最後にしたい」と語っていた。
