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オープニング映像。
府中市にあるミュウは高橋さんが最初に作ったお店。高橋さんはスタッフ150人抱える社長だがいつも自転車を使用している。ミュウは高橋さんが作ったが店長はさくらさんで、高橋さんのお店で最も長く働いている。さくらさんは高校卒業後実家を飛び出しオープンしたばかりの高橋さんのお店で働き始め接客の仕事を通して社会を知っていった。
送迎ドライバーのボブさんも高橋さんに救われた一人。ボブさんは高橋さんのキャスト時代からの常連客。少年時代から音楽が好きでミュージシャンを目指していた。2019年歌舞伎町にミュージックバーをオープンし、経営のアドバイスは高橋さんから受けた。しかし、コロナ禍でお客さんが減り高橋さんが運転手として雇ってくれた。
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- 歌舞伎町(東京)
高橋さんは税理士を講師に招きキャストたちに税金や社会保険について教えた。高橋さんは1979年生まれ笹塚育ちでシングルマザーの母親はスナックで働きながら2人の子どもを育てた。しかし、高橋さんが16歳のときに母親は亡くなった。高橋さんは高校を中退し18歳で下北沢のキャバクラで働き今では7軒の店を持つママになった。家にはお金や資格の本がたくさんある。20代で離婚を経験し2人の子どもを連れて生活するのは金銭的に厳しい時代もあった。高橋さんのお店で6年働くもえさんは妊娠がわかると高橋さんに相談した。もえさんは妊娠しているにも関わらず昼も夜も働いている。赤ちゃんの父親である男性は認知を拒んでいる。それでももえさんが出産するのは高橋さんという見本がいるから。
高橋さんは子育て中のスタッフのために託児所を作った。子どもを預かるのは保育士の資格があるそらさんで、かつて高橋さんのお店で働いていた。
高橋さんは7軒のお店を経営しているが1軒気がかりなお店がある。夢を推すしかないというコンセプトカフェだがお客さんは1組だけ。店長は福島県出身でクラスの中心から外れたところでマイペースに生きるタイプだった。18歳のときに上京し就活でつまずき水商売の道に進んだが馴染めず店を転々とした。店長を受け入れたのが高橋さん。
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- 夢を推すしかない
高橋さんは駅前のホテルで新年会を開いた。頑張ったキャストはみんなで称える。変わっているのはベビーベッドがあること。
高橋さんは年1回いとこと一緒にキムチを作る。いとこは高校卒業後開店したばかりの高橋さんのお店に就職しNo.1の人気だった。結婚を機に店はやめた。味噌作りをリードするのは専務で高橋さんより年上。
高橋さんは7店舗中唯一赤字のお店を訪れ店長と今後のことについて相談した。店長はお客さんに来てもらうため駅前でティッシュ配りを始めた。
高橋さんの最初のお店では12周年のイベントが行われた。店内は常連さんでいっぱい。一方、勝負の12月を迎えたコンカフェだったが惨敗で赤字は300万円以上に膨らんだ。高橋さんは脳に病を抱え6時間の大手術に臨んでいた。
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