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オープニング映像。
2024年3月、みゆさんは大学を卒業した。そしてその就職先は誰もが予想していなかったもので両親はみゆらしく楽しく人生生きていけたらなと思ますと話すが心境は複雑だった。みゆさんの就職先は浅草に拠点を置く東京力車。インバウンド効果で客の半数以上利用するのが外国人観光客である。アルバイトから正社員になることが多く、新卒として入社したのはみゆさん一人。西尾社長が入社を決めた理由の一つが彼女の類まれなる運動能力。姉の背中を追い、小学生の頃から陸上を始め、競歩に出会い中国地方の新人大会で優勝。大学にもスポーツ特待生として入学。しかし、勝負強さは発揮できず、その理由が極度の緊張でガチガチになる。この日も研修で緊張している様子がみられ自慢の足腰もいかせていない。
研修初日から担当している雲雀さんは厳しいことで有名で雪の日でも行う。研修中には坂道の厳しさも教えてもらった。そんなみゆさんが気にしていたのは「東武スカイツリーライン」。みゆさんの実家につながる路線であるが、電車からでてきたのは父・進さん。勤続27年でみゆさんの憧れの存在である。みゆさんは仕事終わりには先輩達に挨拶をしてから帰宅している。そんなみゆさんの就職活動について決まった路線に行くのが嫌だったのか説明会とか見てる中でやりたいことじゃないなと思っていた。そんなときに偶々のった東京力車の人力車に乗った事でこれをやりたいと思ったという。そんなみゆさんにも浅草で馴染みのお店が出来た。東京力車の車夫はオススメのお店を紹介できるように浅草のお店を食べ歩くことが多く、みゆさんのように店に通い詰めて仲良くなる車夫はこれまでいなかったと林檎やの女将さんは話す。
みゆさんの実家は栃木・足利市でこの時はまで一人暮らしへの踏ん切りがつかず実家から片道2時間かけて通っていた。部屋に案内してもらうと綺麗な部屋に推しのYoutuberのポスターなどが飾られていた。そして車夫になりたいと思ったことについて特別扱いされて自分もこういうふうにおもてなしをしたいなど思ったという。みゆさんは3姉妹の2番目に生まれ、そのためか姉の背中ばかりを追いかけ少し引っ込み思案で父は心配してその将来を案じていた。しかし、電車に乗るといつも見つめてくれていたのは3姉妹の中でみゆさんだけだったという。そんなみゆさんが一生の仕事に人力車を選ぶとはと思ったという。そしてこの日の研修では開始に間に合うように始められる状態じゃないといけないでしょと担当者の雲雀さんに注意される。始めから叱られると打たれ弱いみゆさんはしゃべりもグダグダになる。
4日後、再テストが行われるが沈んだ気持ちは持ち上がらずみゆさんには覇気がなく、雲雀さんからゆるく動いていることを指摘され、今の動きはマジであり得ないと研修は中止となった。人力車をしまった後、雲雀さんを探しに行くみゆさん。番組スタッフが雲雀さんに電話して確認すると中止について他の研修生もダラっと準備する人で卒検できている人はいないやあっちこっち探すのに直接電話しないのは何でなんですかねとプリンセス扱いするつもりはないと話した。
2024年4月中旬。東京力車を辞めるのではないかと心配をよそに東京への引っ越しを決意したみゆさん。涙を流した模擬試験の後みゆさんは時間を許す限り空の人力車を引いて感を体に染み込ませていく。すると雲雀さんからは研修担当しては研修生はデビューしてほしいため卒検まではとことん突き落とせばよく、その結果社長も多少楽になりそのため自身の研修は何度受けても落ちる。そのためもう卒検で良いんじゃないかなと提案しみゆさんは卒検を楽しみたいなど話す。そして西尾社長が客に扮する卒検が行われた。その中で社長が驚いたのはちょっと失敗があってもそれを応援したくなる人間力とそれを支える底抜けの明るさ。そして卒検後の社長との面談、楽しかったが暴走機関車みたいな状態でそれがすごくいい状態に動くときもある。一方で今回の対応は80代のおじいちゃんいはやらないためもしやっていたら心配になってしまうと話す。
初めて受けたみゆさんの卒業検定の結果は70点合格で69点で惜しくも不合格。西尾社長は今のところみんなが優しいから許される部分があるが許されなくなる瞬間とそういうのを気にしない人はバーンって言ってくるときに結構折れてしまい、過去にはこれで折れちゃった女子が何人かいると話す。みゆさんは一発でいきたかったがどこかちょっとまだ不安な部分とかはあった、その足りないというのがその1点だったのかなと思いましたと話す。そしてこれがもし沼にハマったらどうしようという不安があると話す。その心配は現実にこの日もテンパってしまい気持ちを作り直すと話した。原点に立ち返るためみゆさんは久しぶりの里帰りをする。
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2024年5月、久しぶりの里帰りで迎えにきた母の車に乗り込む。連れてきた場所は学生の頃から相談に乗るたびに訪れた飲食店。研修を担当していた雲雀さんも「絶対いけるだろう」と思って送り出していてその雲雀さんから言われたのが「久々に悔しかった」と言われたなど明かす。そして母に全部話して腹が決まったようで4日後、西尾社長に卒検についてこれまで受け身で受けていたので自分からやりたいと話し、三社祭後のどこかでやると決まった。三社祭では車夫になると神輿を担げるという事で参加し、その直後に受けたのが良かったのか卒検では肩の力が抜けて自然に明るい良い感じで、さらに走りもよく84点で「車夫代表として引っぱって下さい」と社長も太鼓判。そして合格を会社の仲間や家族に報告した。そして入社から半年、車夫の半纏に届いた。人生の節目から3週間、父進さんが東京力車へとやってきてみゆさんの人力車に乗った。みゆさんには内緒の予約で最初は心配だったが安心したと話した。