2025年5月11日放送 14:00 - 14:55 フジテレビ

ザ・ノンフィクション
これでしか生きられない僕たちは〜インディーズ芸人物語〜

出演者
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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

これでしか生きられない僕たちは〜インディーズ芸人物語〜
これでしか生きられない僕たちは〜インディーズ芸人物語〜

大阪で活動するインディーズ芸人ヤングの2人は20年余前、M-1甲子園で決勝進出を果たした実力派。同じ高校で出会い、ともに進んだ大学を中退して芸人になった。将来を嘱望されながら、芸能事務所への所属を嫌い我道を歩んだ。大切なのは売れることよりオモロイこと。ヤングが出ていた小さなライブハウスの名前は「ライヴ喫茶 亀」。ボケ担当の嶋仲拓巳さんが無名の若手芸人たちのため9年前に立ち上げた。昼間はキッチンから接客までこなし、売り上げを運営資金にしている。ミルクボーイもかつてはこの舞台に立っていた。平日は1万円で5時間、舞台を借りられる。嶋仲さん自ら後輩にアドバイスすることも。月に一度の特別ライブにはヤングも大ファンのクリスタル大坪さんが出演している。

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M-1甲子園THE SECOND ~漫才トーナメント~ 2024ミルクボーイライヴ喫茶 亀玉造(大阪)

寿司職人として店を転々としていたという大坪さんがお笑いの世界に入ったのは42歳の時。1DK、家賃3万円のアパートに1人暮らし。敬虔なクリスチャンんだようだ。生活は年金頼み。1949年、長崎に生まれた大坪さん。寿司職人だった父親は賭け事に明け暮れて家庭を顧みず大坪さんが幼い頃、行方をくらましてしまったという。高校を中退し兄が暮らす大阪へ。北新地で働いていた時期に知り合った女性と20歳で結婚。妻の故郷に身を寄せ、やがて1人娘にも恵まれた。けれどその直後に離婚。以来、50年以上一度も妻子に会っていないという。「売れて有名になれば娘と再会できるかも」と芸人を目指した。以前、元妻の故郷で「父、帰る」と題したライブを開催したが娘探しは空振り。実現に奔走してくれたのがヤングの寺田さんだった。

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長崎県

離婚の7年後、一度だけ元妻と電話で話した。直後に送られてきたのは娘の写真2枚だけ。寺田さんは大坪さんに直接話しを聞いた。大坪さんの戸籍から娘さんの居場所を辿ってみることに。わかったのは娘さんが結婚していること、結婚を機に本籍地を移していたこと。ほぼ住所に近い場所が分かった。

「ライヴ喫茶 亀」に集う芸人の人間模様は様々。村橋ステムさんは芸歴19年の中堅。大阪ではコアな人気があるが、まだまだ芸だけでは食べていけない。年に一度、東京でも自身の主催でライブを開いてきたが、芸能事務所の目に留まることはなかった。上京9年の後輩に東京事情を聞いた。村橋さんとヤングの嶋仲さんはバンド仲間でもある。

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Uber Eatsライヴ喫茶 亀阿佐ヶ谷(東京)
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これでしか生きられない僕たちは〜インディーズ芸人物語〜
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少しでも貯金を増やそうと、村橋さんは条件の良い万博の会場でアルバイトをしていた。娘さんの居場所を知った大坪さんは再会を恐れ始めていた。大坪さんの離婚の原因は娘さんの誕生に前後して発症した心の病だった。その後、すっかり症状は収まったが薬の服用は欠かせない。家族を傷つけた罪の意識から、離婚してまもなくカトリックに入信。妻と娘に詫びる思いと、母親を幸せにしてやれなかった後悔と、大坪さんは深い贖罪の日々を生きていた。

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2025年日本国際博覧会カトリック吹田教会

娘との再会を避けた大坪さんに寺田さんは手紙を早く書いた方がいいと言った。手紙を携え、寺田さんとともに娘さんが暮らす町に向かった。

娘さんと対面した寺田さんは写真を持って大坪さんに報告した。娘さんは大坪さんの手紙がきっかけで初めて両親が離婚した理由を知ったという。「ライヴ喫茶 亀」は開店10周年を迎えた。

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ライヴ喫茶 亀
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