- 出演者
- 浜田雅功 佐久間みなみ パンチ佐藤 銀次 山本昌 星野伸之 田口壮 片岡篤史 阿波野秀幸 立浪和義
今回は星野仙一と仰木彬を語る会。星野監督の実績について立浪氏は中日、阪神、楽天の3球団を優勝に導いているなどとした。アメとムチの割合についてムチの割合が圧倒的に多かったと各選手は話した。仰木監督について田口氏は変幻自在な采配で優勝3回を誇り、野茂英雄氏など多数のメジャーリーガーが教え子にいるなどとした。阿波野氏は監督の1勝目は僕の完封から始まっているなどとした。星野氏はオリックス時代に7年連続二桁勝利をして全幅の信頼を任せてもらったなどとした。パンチ氏は1年だけだったが、監督から芸能界に行けば2~3倍稼げると言われ引退。良い時は8倍稼げたなどとした。
名将の厳しさについて語る。星野組・山本氏は1988年の5年目のシーズンでオープン戦の開幕投手に指名されたが、初回で8失点KO。その後キャンプ地で死ぬまで走っとけと監督から言われ、5時間一人で走っていた。その後監督からアメリカに留学しろと言われ行くことになったという。当時LAドジャースと中日は業務提携を結んでいて交換留学をすることになっていた。山本氏は現地でスクリューボールを覚えて成績が良くなり、8月にメジャー球団から誘いが来ていたが、中日が優勝争いをしていて先発がケガをしたため呼び戻されたという。片岡氏によると星野監督はケガに厳しく、2003年の優勝争いの時にチームが失速しケガ人が増え片岡氏も肉離れを起こしていたが、当時泊まっていたホテルのエレベーターで鉢合わせし「抹消や」などと怒られたという。
仰木組・田口氏は監督について、怠慢プレーに厳しかったなどと評した。普段は遅刻やルール違反などに対して罰金はあるがプレーに対して罰金はなかった。しかしある時先輩が怠慢プレーに見える行為をした際に、監督がミーティングで「100万持って来い」などと怒鳴ったことがあるという。愛のムチについては噂では聞いたことがあるなどとし、星野氏が遭遇したことがあるなどとした。
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星野監督との出会いについて、立浪氏はドラフトの時に2位の評価だったが中日に入団予定のピッチャーが直前に拒否。星野監督はスカウトを通じて中日に来たいなら俺がクジで引いてやるなどと宣言。南海ホークスと競合の末に抽選で中日入りした。山本氏は当時星野氏が辞任して数年後に帰って来るタイミングで、先輩からとんでもない人が帰って来るからしっかりしろと言われた。当時の寮には星野監督が現役時代にピッチャーの先輩を正座させている写真があったという。
仰木監督との出会いについて田口氏は1993年のプロ2年目の時、ハワイのウインターリーグにいたが監督のオリックス就任が決まりハワイに視察に来ていた。当時の格好は全身白スールに白のエナメル靴、日焼けしてサングラスにパンチパーマという格好だった。最初こそ野球の話をしたが、それ以降はテレビでは話せないような話ばかりだったという。パンチ氏は初めてあった時、二軍生活が長くパンチパーマをやめていたがパンチパーマじゃなきゃだめじゃないかと言われ行きつけのヘアサロンを紹介され、監督と同じパンチパーマになった。
仰木監督の勝負師としての一面について、田口氏によるとデータを重視する監督で、前日に好調でも相性が悪ければ変えていたという。こうした事から仰木監督の采配には猫の目打線という名前が付けられている。阿波野氏によるとこうした采配は近鉄時代からあったという。年末に選手だけの打ち上げを行うが、監督が退任する年には選手からもっと試合に出たかったという声が多かった。しかし当時の選手会長である金村氏が監督のおかげで皆給料が上がったと話していた。星野氏によると当時、優勝の前年に平井氏という新人を9回ノーアウト満塁で起用。サヨナラを打たれたが翌年に平井投手をフル回転させ優勝。一流を育て上げるのが上手などと話した。
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星野監督の勝負師としての一面について、山本氏は入団当初から立浪氏が可愛がられていたなどとした。当時ホームラン王を獲得していたショートをキャンプ中からセカンドにコンバートさせ、ショートに立浪氏を起用し1年間使い続けた。立浪氏は新人王を獲ったが、その際に星野監督は「立浪に投票しない新聞記者は野球を知らない」などと後押ししたという。銀次氏は監督はチャンスの時に打席に行く際に熱い言葉をかけてくれるが、ある日ヒートアップしてくらくらするほどの強さで頭を叩かれた。見えないボールを打って内野ゴロの当たりをファーストがエラーして点が入って勝ったことがあるなどとした。
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